被災地 ちょっとだけ支援 個人旅行の薦め

2013年12月作成
2014年 3月更新



(→2014年3月更新分へ)

被災者とは思えない明るい子供たち@マラパスクア島  2013年12月

子供たちへの支援物資であるクリスマスプレゼントを配っている会場で、バイトでゴミを拾っている右側の子供の写真を撮ろうとした。すると、別の子供たちが すかさず、横からスライディングして来て、画面をハイジャックした。とにかく陽気で明るいのがフィリピンの特徴で、こちらの方が元気をもらって帰った。


台風30号がフィリピンを襲い、すぐに被災地に駆けつけて、何か支援活動をしたい思いもあったが、日本に帰っていた。そして、LCCの呪縛にはまってしまい、バーゲンで買ったチケットを下手に変更して、前倒しですぐに乗ろうなどとしたら、まさに航空会社の思う壺。手数料を払えないわけではないものの、乗る側からは 極端に合計の料金が上がるのは、まさにぼったくりと思え、結局予定通りのフライトに乗り、その後被災地を訪問してみた。

一方、個人では、軍艦もヘリコプターも持っていない。また 年間何百億円の予算を持ち、トップが1億円レベルの年棒をもらっていると言われるような高給取りの支援のプロであるNGOと対抗しても仕方がない。アマチュアは、その人たちが帰ってから、支援の輪から落ちこぼれてしまった人たちを相手にしているのが良さそうに思えたが、それはかなり当たっていた。

災害が起こると、現地に行って足手まといになっても良くないと思われたりして 観光客は激減するが、今回行ってみたバンタヤン島やマラパスクア島ではすでに宿も営業しているし、電気、水道などのインフラも戻りつつある。電気は遅れがあるもののクリスマスを目標に復旧が進められていた。また、超安宿で無ければ、ジェネレーターもあろう。

少しでも支援に興味がある人が、個人でフラッと被災地を訪れるのにちょうど良い時期になってきたので、ここでは、その参考情報をまとめてみた。

お金持ちの家は、1ヶ月もすれば、何も無かったかのように修理が済んでいる場合が多いが、ど貧民の被災者は未だブルーシートの下で暮らしている人が多い。私の知り合いも予想通りブルーシート組だった。高級ビーチリゾートに泊まって、隣のあばら家の人たちを見下しているようでは嫌われそうだが、ちょっとプレゼントでも持って行って、現地の被災者を訪問すれば、大歓迎してもらえ、すぐに仲良くなれる。別に何も持って行かなくて話を聞いてくるだけでも歓迎してもらえる。今回行ってみたヒランタガアン島のサリサリストアで、売り上げに貢献しようと思ってコーヒーを飲んで いろいろ話をした。最後に代金を払おうとしたら、ただでよいと言われてしまった。それでは困るので、その店でお菓子を買って 配っておいてもらうことにした。セットアップだと言う人がいるかもしれないが、最果てと言えそうなところまで、わざわざやってきた外国人へのhospitalityであろう。

ちょっとだけ支援の例

・被災者に何か品物を持って行って渡したいところだが、直後ではないので、食品は 既に沢山贈られていて余り意味が無い。しかし、私もどこでもよくやるが、知り合いになった家に、市場で買って来た魚や野菜などの食材を持って行き、料理してもらい一緒に食べたら 現地の人に喜ばれる。Relief goodsのカップラーメンよりもそちらを食べていた方が良いだろう。
・家の修理が進まず 困っているのは大抵は、貧しい人たちだ。今回の私の場合は、調度クリスマス前だったので、クリスマスプレゼントだと言って、持って行ったものを配ったらみんな喜んでもらえた。必ずしも必要ではないので、100点満点ではないが、十分意味があろう。友達になった人に後から荷物を送り、周囲の人に配ってもらうのを一番お勧めしたいが 結構大変だ。
・被災者で仕事がない人にツーリスト・ガイドをしてもらうのも悪くない案だろう。
・外国人が肉体労働を手伝うのは、場合にもよるが、フィリピンではあまりお勧めできない場合が多い。一日 一生懸命手伝ったが、慣れないので現地の人の100ペソ分くらいの仕事にしかなっていないのでは笑い話であろう。それよりは、日本で例えば3日アルバイトして、そのお金で、大工を雇い、建材を買って、家の修理に回れば、かなりの数の家の修理に貢献できるはずだ。その場合には、人をあごで使うような態度でなくて、監督しながら、大工が嫌がるような仕事を手伝えば、大工は熱心に働いてくれる可能性が高くなる。しかし、これは、ちょっとだけ支援の範疇からは逸脱していそうだ。
・その他、私の場合は、被災地からペンパル募集をやる予定である。


以下、長くなるが写真だけでも見てもらいたい。

営業を再開した宿、断念した(?)宿

宿は客に泊まりに来てもらわないと収入が上がらないので、1ヶ月もすれば、壊れたところを修理して営業を再開しているところが多い。高級なところは建物も丈夫にできていて、被害が少なく、安宿はその反対という傾向もあろう。儲かっていなかったところは、再建をあきらめ廃業することもありそうだ。とにかく、自粛ムードでは地元の経済も停滞するので、泊まりに行ってあげた方が良いと言えよう。

バンタヤン島のビーチリゾート

何も無かったかのように普通に営業している。

マラパスクア島の人気リゾート Exotic
宿の船で直接前のビーチに来て、そのまま宿に滞在していれば、災害は何もなかったように思えそうだ。しかし、その手の旅をお勧めしているのではない。

マラパスクア島にできたバックパッカー宿Villa SANDRA
長期滞在のバックパッカーが毎日、島を歩いて、支援活動をしているということだった。

ビーチリゾートの裏にあるコテージ
@マラパスクア島
木が倒れてきて かなり壊れてしまい、放置されたままで、再建を断念したようだ。

マラパスクア島の場合、十数年前には、cocobanaとその横のblue waterが主要な宿であったが、久々の十数年ぶりに来てみると、それは今は昔の話で、台風が通過してから1ヶ月半くらい経過しても、復旧は進んでいなかった。後からできたExoticなど、そこそこ高級そうに見えるビーチリゾートの方は、復旧が済んで普通に営業していて、そもそも被害はなかったかのように見えた。

支援物資をもらえた人、もらえなかった人

マラパスクア島をうろうろと歩いていたら、下の写真のように、支援物資の建材を配っていた。扉が一番高そうだが、その他、かなり薄いベニヤ板が12枚。ペンキが4缶。トタン板が10枚、角材が7本、ペンキ塗りのローラーなどである。マニラのグループが配りに来たそうで、全部で100軒くらいに配っていた。その後、知り合いの家に行って話を聞いたら、彼らは貰えなかったそうだ。幸運の女神が島をウロウロ歩いて、被害が大きく 条件に合う家にチケットを配ったが、残念ながら、知り合いの住んでいる地域には来てくれなかったそうだ。島の人の話では、マラパスクア島の人口は4000人くらいになっているそうで、かなり増えて、今はそれくらいなのだろう。いずれにせよ、今回の台風でこの島でも全壊の家はかなり多くて、全然足りていないのは間違いない。

沢山の建材を配っていて、貰えた人はラッキーだ。

今回泊まったvilla SANDRAの敷地の隅に住んでいる
おばさん  左の写真の建材はもらえなかったそうだ。

右上の写真のおばさんを訪ねたが、日本だったら、公園のホームレスが住んでいるところに遊びに行くような感じで、少し戸惑ったとも言えるが、その前に行ったバンタヤン島で、私の知り合いの家も余り程度が変わらないので、免疫ができていたとも言える。近くに住む知り合いと同様、左の写真の手厚い支援物資は貰えなかったそうだ。幸運の女神が歩いてきてチケットを切ってくれなかったためで、今後、更なる支援が届くことを願いたい。このおばさんも明るくて、何も支援物資を持っていかないのに、笑顔で、わざわざ来てくれてありがとうと言ってくれた。

持ってきたものを配る

一昨年のドゥマゲッティでの台風21号による被害の時には、台風が来た数日後のだったので、まだ海外のNGOなども来ておらず、被災者の中で一番貧しそうな人たちに お米と緑豆(Mongo)を配ったら喜んでもらえた。今回は出遅れているので、もっばら、日本から直接物資を送りたい人のために、送り先の住所を確保することを考えていた。必要なら現地で お米でも買って配ったらと思ったが、昨年の台風24号の後の支援物資の配布状況からも容易に想像できたように、最低でも10kgのお米をもらったそうで、食べ物を配る必要はなかった。

とにかく、シキホールの自宅から、持てるだけのものは持参して、クリスマスプレゼントだと言って配った。知り合いの家があり、最初に行ったバンタヤン島のSanta Feにあるアリス・ビーチだけで、すぐになくなってしまった。役に立ちそうか、喜んでもらえるのか試すのが目的だったとも言えるが、どれも十分意味があったと思う。充電式のLEDの懐中電灯は、昨年の台風24号の後シキホールの被災者に配ったら喜ばれていたので、少し持って行ったら同様に喜ばれた。まだまだ停電していたので当然役に立つ。値段は70ペソ〜100ペソ程度である。最初に行ったバンタヤン島ですぐになくなってしまったが、その横のヒランタガアン島では、台風とは関係なく、半年前から発電機が故障して、修理がされず停電が続いているそうで、懐中電灯は役に立つが、ジェネレーターを持っている家で、充電させてもらう時の代金が課題になってくる。
その他、古着や小さな人形などを配った。必ず必要とは言えないので、百点満点ではないが、現地で喜んでもらえるので十分 意味はあるはずだ。

記念撮影好きな人たち
とにかく、一人一つ何か配った
@バンタヤン島サンタフェ、アリスビーチ

はしゃぐ孫・
12月だが暑いので省エネルックの爺さんの姿から、
どんな古着が役に立つか伝わってくるはず
@バンタヤン島サンタフェ、アリスビーチ

ハノイで買ってきた人形を持ってもらって撮ったやらせっぽい写真。それでもうれしいのが伝わってくるはず。
どこで配っても必ず喜ばれる人気の人形だ。
@バンタヤン島サンタフェ、アリスビーチ

今回泊まった知り合いの家の子供たち
私の寝た場所はなんとか屋根があったが、この子供たちはまだまたブルーシート暮らしが続いていた。
@バンタヤン島サンタフェ、アリスビーチ

単なる勝手な物言いだが、ここで期待しているのは、被災地で配るものを少し評価サンプル的に持って行き、回った先で友達を作って、後からそこへバリックバヤンボックスに詰めた荷物を送り、近所で配ってもらうという手順である。そんな人が現れることを期待したい。

ここでも起こっている奥大使1千億円問題 vs. 個人レベルの支援活動

現地でよく名前を見かけた大手NGOをWikipediaで検索してみたら、年間の予算が300億円以上で、トップの年棒は1億円レベルとのことだ。NGOでは、集めたお金の中で直接支援に使われる割合が十分高く、他にもあろうが給料で支払われる分はできるだけ少なくなるよう厳しく世間から監視される。そうなると、高給取りの職員は、細かいところにいちいち首を突っ込んでいるわけにはいかず、できるだけ少ない人で、できるだけ多くのものを配るのが基本となってくるのは容易に想像できる。
一番予算を持っていそうなのは 赤十字であろう。天下の赤十字にクレームをつけるつもりは毛頭ないが、赤十字もこの基本構造は変わらないはずだ。バンタヤン島の私の知り合いの家でも、他と同じように、赤十字からトタン板を10枚もらった。それで、さっさと屋根ができれば良いが、他の家も含め、家の再建はほとんど進んでおらず、未だビニールシート族も多い。屋根を作るには、当然柱その他の材木が必要だ。トタン板は機械的に枚数を決めて配れるが、材木はサイズ、本数が一軒一軒異なり、いちいち見積もっていたら大変な労力であろう。赤十字なら、小さな家の ど貧の人たちに材木を配るくらいの予算は十分あるはずだが、現状から判断しても難しそうだ。

奥大使がイラクの復興に関わった時には、給料の割合がどうかという話はないが、一人で莫大な予算を使わないといけなかったというのが、NGOの職員と似ていると言えよう。

現地では、椰子の木が沢山倒れている。これを切って材木に使えばよいのが、業者にチェーンソーで木を切ってもらう代金が高くて払えない場合が多い。
業者の儲け過ぎが課題とも言えるが、シキホール島と比べるとかなり格安で切ってくれる業者もいるので、一概には言えない。
また、椰子の木も、自分の木を持っているので後は切るだけの人もいるし、自分は木を持っていないので、買う必要がある人も居て、さらに、普段より高く売りつけようとしている輩も居たりする。切った後の材木を買おうとするとかなり高い。とにかく、被災者によっていろいろだ。

木を切ってもらえば、家の再建が進む場合がかなりあるので、自分自身の取り組みとしては、以前から似たようなことを何度かやっているが、チェーンソーを持って行って、オペレーターを雇って、要望に応じて、無料で木を切って回るというのをやってみたいと思っている。

とにかく、少し誰かに資金面などで協力してもらうこともあろうが、個人レベルでできる支援活動をいろいろ試して、インターネットで紹介し 参考にしてもらいたいと思っている。

個人レベルの支援が意味を持つ大きな要因が、ここで取り上げている奥大使の1千億円問題で、支援の主力の人たちはボランティアと違って、大きな予算を一人でこなす必要があり、手離れの悪い、個別の問題にいちいち首を突っ込んでいては、全体では莫大な人件費がかかってしまう。現地で井戸の修理をしているNGOを見かけたし、手間のかかる支援をしているNGOの職員もいるだろうが、全体としては、効率よく沢山のお金を使うことが基本であるのは間違いないはずだ。

こう書くと大手の尻拭いのようでもあるが、中小企業の特徴のような小回りの聞く支援活動が、個人レベルでいろいろできるはずだ。


さらに、写真を追加しておく。

マラパスクア島の小学校
校庭を挟んで、倒壊した教室と修理が済んだ教室が並んでいる。観光地で、人の注目も集まり、復興の進み具合は、他よりはかなり良さそうだ。それでも、修理が手付かずの教室があり、寄付するなら、今でしょう、ここでしょうと思う。しかし、一方 フィリピンの構造的な問題で、どこにお金が消えてしまうか分からないので、現地に来て、建材を買って、大工を雇って再建に取り組む人に寄付してもらわないと厳しいとも思う。

ヒランタガアン島のハイスクール
こちらもかなり壊れているが修理は手付かずで、ブルーシートの教室が続いている。
マラパスクアに比べて、観光地でないので、支援が少な目と言えよう。

バンタヤン島のサンタフェ、アリス・ビーチの様子
かなりの椰子の木が倒れてしまった。現地の人の話では、台風の目の通過で、途中15分ほどは天気が回復したそうだ。まさに直撃と言えよう。

バンタヤン島のサンタフェ、アリスビーチの
ビニールシート暮らしの家
赤十字からトタン板はもらったが、材木がなくて、宝の持ち腐れになっている。

以前来た時に仲良くなったJOMAR元少年の家
@アリスビーチ
ココナツを切る代金を渡して、次回戻って来た時に、
家ができているか、他に使い込むか実験中。

この家も あと材木が数十本あれば再建できそうだ。
@アリスビーチ

自力で再建を始めている家
@アリスビーチ
おじいさんが主に大工仕事をして 孫が手伝っていた

海沿いで風が強く、椰子の木も倒れてきて、近所も含め家が完全に倒壊してしまった。
@アリスビーチ

バンタヤン島で最後に一泊した町中の安宿
RR Lodging House
便所の無いあばら家生活は疲れた

JUMBO's Mini EATERY @マラパスクア島
外人も来ると思っていたら、同じ安宿に泊まっている
バックパッカーだった。普通に営業していた。


(以下、2014年3月追加)

年が明けて、1月以降も被災地に通って、合計3回バンタヤン島などを訪問したので、その時の様子も踏まえ 追加しておきたい。
少しぼやきとも言えるが、2014年1月のビサヤ・ミンダナオ地方は、熱帯低気圧と、それが昇格した台風1号が、ぐるぐると近くを回って、延々と悪天が続いた。バンタヤン島に行くにもセブ島のハグナヤから船が出ず、4日間足止めを食らい、その後セブに行くにも同様にバンタヤン島で4日足止めを食らい、さらに現地でも雨続き、これまでの経験で最悪の事態となってしまった。その前にも、別途紹介しているようにシキホール島からのフェリーにも乗れず、結局3週間近く費やしたにもかかわらず、古着や懐中電灯などの支援物資を持って行ったくらいの結果しか残せなかった。

バンタヤン島で古着等を配る

ヒランタガアン島で子供たちにアクセサリーを配る

直接自分で持っていける支援物資は、他にも荷物があるので、一度に精々10〜15kg程度で、その他試しにLBCの10kg以下パックで送った分を含めても、合計50kg足らずだ。それよりも、日本から直接現地に支援物資を送って、現地の人から被災者に、物資を配ってもらった方が効率が良い。そのように段取りをして、日本から沢山物資を送ってもらっているところである。

もしも被災地を訪問する機会ができれば、そこで友人をつくって、日本からその人あてに荷物を送り、同様にくばってもらうことが可能だろう。

食材を買ってきて料理してもらう

市場で食材を買ってきて、知り合いの家に持って行き、料理してもらって、一緒に食べるというのは、被災地でもお薦めだ。現地の人も食費が節約でき、持って行って、拒否される理由はない。市場で魚を1kg買えば、10人くらいのおかずになるはずだ。現地の人に任せておくと 野菜は買わないことになりがちだが、できればカット野菜のサリサリでも買って、必要に応じて卵や調味料も持って行けば良い。

進まぬガレキの処理 vs. Thank you OXFAM Garden

バンタヤン島の事例だが、町中で観光客が行くレストランのあるようなところは、台風後1ヶ月もすれば、何も無かったかのように、店も綺麗になって普通に営業している。それに対して、町中から外れて、現地の普通のレベルの人たちの家へ行くと、ガレキが山積みにされた光景をいたるところで見かける。

一方、今回は大災害なので、外国からも含めいろいろな支援があり、その一つがドイツの政府系のOXFAMによる道路の清掃である。一家族から一人、二週間で10日雇い、日当300ペソで、合計3000ペソの賃金を支払う。その後 家の修理を始めている人が多いので、かなり役に立っていると言える。各自 自宅からナタを持ってきて、大勢で道端の草をむしり、シキホールよりも道は綺麗になっている。いい感じではあるが、一方、壊れた家から出たガレキの方は、放置されたままのところがほとんどだ。道は、公共のものなので仕事の対象としても良いが、ガレキはそれぞれの家から出ているので個人で処理するべきということなのだろう。ガレキは釘が沢山出ていて危険なので、怪我でもされたら大変だという観点もあるのかもしれない。
100点満点はなかなか難しいので、仕方ないとも思えるが、さらに、道端の至るところに作られた、Thank you OXFAMと書かれた記念のガーデニングを見ると、これと放置された沢山のガレキの山を比較して、かなり違和感を覚える。

いろいろと例え話を考えてしまう。
日々の食費にも困っているのに ダイヤモンドの指輪を買ってしまった。
津波が来て、家の中は泥だらけになってしまったが、それは放っておいて、敷地内の雑草が生えていたところに、庭園を造り始める。

Thank you OXFAM gardenと呼んでおくが、これは 本国からやってきたドイツ人が指示して作らせたものではなくて、OXFAMから300ペソよりは高い給料で雇われた中間管理職に相当するフィリピン人が指示して作らせたのだろうと思われる。

積まれたガレキ@バンタヤン島

Thank you OXFAM garden @バンタヤン島


ガレキの処理を試してみる

日本人が現地で肉体労働を手伝っても、一日働いたところで、現地の人の日当の300ペソ分にも満たず、慣れていないので、下手をすればその半分の仕事にもならないかもしれない。日本で働いてお金を貯めて、それを使って現地で人を雇って働いてもらった方が、経済の合理性にかなうのは容易に分かる話であろう。しかしながら、何も汗を流さないのでは、湾岸戦争の日本からの1兆円のように、非難されるかもしれない。 

個人的には、どう思われようと気にしなくて、それよりも実際の効果が出れば良いと思うが、とにかく、今回は現地で、悪天候に見舞われ、船が出ない状態が続いたこともあり、待ち時間も利用して、ガレキの処理を試してみた。山積みになった家の残骸を、仕分けて、とりわけ再利用で役に立ちそうである木を処理してみた。

まずは、釘を抜いて、いたみが少なく建築用に再利用できるものと、シロアリが食っていたりして、薪にした方が良いものに分別した。薪の方は、ノコギリで適当な長さに切って積み上げ、材木用も駄目な部分だけ切り落として、使える部分だけを積み上げて行った。

くぎ抜きには それなりのノウハウがあり、ポイントはテコの原理で、釘が外に出ている長さに応じて、木を添えて抜けやすくする。というよりも、無理やりやっていると、特に柄が木のかなづち兼釘抜きでは、簡単に柄が折れてしまう。そこまでは、シキホールの自宅でも大工の尻拭いのように、散々経験を重ねてきたが、今回はさらに別のノウハウと体得した。さびついて抜けない釘で、外にそれなりに出ているものは、90度近くまで、かなづちで折り曲げ、横に叩いて回転させる。しばらく回せば、木と錆びた釘が離れて、簡単に抜けるようになる。シキホールの大工もそれをやっていたような気がするが、とにかく自分でもかなり熟練したように思う。

がれきからできた薪

建材に再利用を目指した古木

この作業をやっていて一番楽しいのは、周囲の子供たちを巻き込むことだ。自分も一緒にやりたがるのと、抜いた釘を売って、おやつを買うのとで、子供たちには二つの興味がある。一緒にやる方は、てこの原理を理解してもらうのに絶好の教材だと思う。ただし、5歳くらいの子供が多いので、どこまで理解したかはなんとも言えないが、何か体では覚えたはずだ。入れ替わり立ち代わり子供がやってくるが、どうも根気が無くて長続きしないというフィリピン的な面も出てくる。しかし、そうではない場合もあり、まだ5歳くらいの一人の鼻垂れ小僧が、とても熱心に釘抜きを続けていて、その勤勉さに惹かれた。

釘抜きの作業を続け、そこそこ釘が貯まると、2ペソ、3ペソくらいの値段で売れる。子供も少し作業を手伝い、貯まった釘を子供が売りに行き、帰りにおやつを買ってくる。 おやつ代稼ぎになるので、子供も勝手に、いろいろなところで、釘抜きを始めるが、そう簡単には、釘が貯まらないのがネックだ。安全面の課題もある。

それでも、例えば 有望そうな子供にかなづち兼釘抜きをプレゼントしてみれば、良い結果が期待できそうだ。

進む住宅(あばら家?)再建

バンタヤン島では、OXFAMの報酬が支払われたこともあり、2月に入って家を再建するところが多く見られた。私の知り合いの家も、2月になって作業を始められた。下の写真の通りで、大工一人、それに家の人が一人手伝っているだけだが、この後、1日で屋根の取り付けまで終わった。私の方は、もっぱら建材を準備する役回りだったが、長く居るとあれが足りない これが足りないと言われかねないので、途中で退散した。

再建が始まった知り合いの家
@バンタヤン島(2014年2月)

再建が始まった近所の別の人の家
@バンタヤン島(2014年2月)

チェーンソー・ボランティア進まず

ちょっとだけ支援の域は逸脱していそうだが、台風で倒れた木をチェーンソーで切って、住宅再建の材木として活用してもらおうというのが、今回の最大の狙いであった。しかし、残念ながらオペレーターが見つからず、チェーンソーはシキホールに持ち帰り、未だ支援活動を始められないという悲しい状態が続いている。

木を切る業者もいるが、復興景気と言える状態でボッタクリが多い。台風で家が壊れ、自分の椰子の木も倒れてしまったいろいろな人から 頼まれていて、無料で切るのか、ガソリン代くらいは払えというのか、依頼者の懐具合によって変えることになりそうだが、とにかく、実施できれば、非常に役に立つことは間違いない。現地の人からも、日本だったら絶対にうまくゆく取り組みだと、口々にお墨付きをもらっている。

チェーンソーでココナツの木を切る業者


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