フィリピンに小さな家を建てる 前編

2002年7月


建築中の家の写真
海の家だが、何となく山の家風になってしまった。

バルコニーからの眺め
遠くの海まで見渡せる

フィリピンでは、日本に比べて かなり割安で家を建てることができる。日本と同じだけ払えば、大きな家が建つが、それは紛れもなく豪邸。 回りが豪邸ならまだしも、田舎暮らしの場合には、たいてい あばら家の横に豪邸を建てることになり、お奨めできない。嫉妬心という言葉がどこかで登場し、ろくなことがないからである。

そういうわけで、私も小さな家を建てているところである。
小さいといっても、二階にあたる屋根裏部屋も含めれば、60uほどあり、ひとりで住むには十分な広さだ。また 訪問者がいれば、隣に別の建物を建てる予定である。

費用は土地、建物を含めて50万円以内に収めようとしている。50万円なら、ボーナスやポケットマネーで、何の決断も無く、手軽に家を建てられるだろう。そう思って、50万円で家を建てる方法を公開しようしているところだ。
ただし、自分用には参考になる情報が少ないので、いろいろ試して、時には失敗して 学んでいるところでもある。 失敗から得た改良案を含めて、50万円に収めるつもりだ。

建物は上の写真にあるとおり。屋根の勾配が45度以上の急なものにしたので、海の家というよりは、山小屋風になってしまった。屋根はトタン板の粗末なものだが、熱帯なので白いペンキを全面に塗ったところ、熱は反射して暑さは問題なさそうである。茅葺屋根が最も涼しくて良いのだが、今回は試験的に このような屋根にしてみた。

壁は、フィリピン流にブロックを積みあげた。この後 表面にセメントを塗り、仕上げに塗料を塗る。柱や梁の部分は、そこそこ頑丈な鉄筋コンクリートで、全体として 強度は問題なさそうだ。

工夫した点は、全体の形。そして、八角形を半分に割った形をしていて、海に面したバルコニーである。バルコニーは二階にあり、遠くの海まで見渡せるので、ここで眺めを楽しみながらパソコンを、ガンガンたたけるはずだ。

課題は、僻地で電気も水道も遠く離れていること。この際近所の分まで電気を引こうと 欲張った計画を立てているところである。水はポンプを使ったり、また、屋根に降った雨水を大きなタンクに貯めておいたりすることになりそうだ。

興味のある人のために、完成後、もう一度詳しく紹介する予定である。


最後に、これまでに起こった愉快なエピソードを紹介しておく。

写真のとおり、家は完成しておらず中断したままだ。大工が働いたのは2週間程度に過ぎない。 現地の人々は大抵、1週間すると予算が尽き、大工に日当が払えなくなるので工事を止める。壁と屋根だけできたところで、次回お金が貯まるまで、下手をすると何年も、そのままにしておく。 これに比べ、私だだけ簡単に家ができてしまうと、お金持ちと思われてしまい、何かと都合が悪いのである。

また、中断の別の理由として、工事の遅れ対策が挙げられる。
通常、大工は時間制で、日当いくらで、仕事をしてもらう。一方、フィリピンの田舎では、労働力は余っている。兄弟7人、8人は当たり前で、子供が14人という人に会ったこともある。求人より求職の方が、はるかに多いのである。以上のことから、一旦仕事にありつくと、それが延々続いた方が、労働者にとっては嬉しいのである。
こういう状況なので、下手をすると、大工は昼寝ばかりしていたりとか、時間をかけて、とてつもなく頑丈な家を造り始め出すかもしれない。 
遅れて困るのは、お金を払うオーナーだけだ。
そこで、遅れたら大工も困るようにするため、 予定より遅れ出したので、強引に工事を止めた。オーナー側のストライキのようなものだ。日本ではとても考えられないが、こちらでは、お金が無くなり、工事が続けられないのは日常茶飯事なので、工事が遅れたので予算はもう無いと言えば、すんなり受け入れられる。
幸いにも今回の大工は、仕事好きで、とても働き者なのだが、段取りの悪さから遅れが出た。

次に食事の話。

大工には通常の日当を払っているだけなので、せめて食事くらいは、平均以上のものを出してあげようと考えた。因みに、こちらでは食事付きで仕事をしてもらうことが多いのである。
最初に、50kgのお米を買っておいたので、かなりの期間、買い足す必要は無いはずと考えていたのだが、二週間で無くなってしまった。大工が6人。さらに、私や食事を作ってくれた人も食べたのだが、基本的に昼食だけなので、この消費量は異常だ。実際、こちらの大工の食欲は尋常ではない。"No work, no pay."よりも、まずは"No food, no work."これが合言葉になっていて、とにかく よく食べる。
また、フェスタ(祭り)のように、食べ物のあるところに人は集まってくる。10時や3時のおやつ(snack スナック)の時間になると、近所の人たちがゾロゾロやって来て、ゴミ拾いなどを始める。そしておやつを一緒に食べていくのである。

「50kgの米があっと言う間になくなり、食事の予算が底をついたので 中断だ。」

そう捨て台詞を残して、日本に退散して来た次第である。


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