シキホール港にある3食堂の仁義なき戦い

2011年12月作成
2013年10月更新



(→2013年10月更新 Chan Eateryの閉店)


シキホール港にある3食堂を陸側からみたところ

左と反対側から見たところ
手前の小さい出店のようなのが、新たにできたTUMAMAK's BAR-B-Q

シキホール港には、元々Chan Eateryという安食堂があって、今でも繁盛している (残念ながら、長らく営業を続けていたChan Eateryは、閉店してしまった。 2013年10月更新)。 屋根を茅葺からトタンに変えたことはあったが、昔ながらのスタイルを守り、建物にお金をかけない分、料理を安くできるという理屈が成り立ち、建物が綺麗で後から横にできた店より安いので 私は今でもよく食べに行く。

そこへ、5、6年ほど前、その横にDAS TRAUM one stop serviceという外国人経営のちょっと小奇麗な食堂ができた。ここは、別にDAS TRAUMというゲストハウスがあり、その出張所のような店である。最近ではラレナにも食堂の支店ができていて、そちらは大学の前なので下宿屋もやっている。ゲストハウスは、元々はただの大きな家で、アパートもしくは下宿屋として、部屋単位で貸していた。綺麗な大きな家を 一部屋当たり月500ペソという世界一安いのではないかと思える家賃で貸していたので、私は何年かそこを借りていた。流石に電気・水道代は実費で入居者が割り勘で払うことになっていたが、それでも異常に安いので、とにかく家賃を先払いした間は居れるだろうと勝手に解釈して、2年くらい先の分まで家賃を払っておいた。

しかしながら、ここはフィリピン そんなに甘くはない。オーナーがゲストハウスにすると言い出すや、さっさと皆出て行けという話になった。もちろんゲストハウスの料金を払えば居られるが、それは1桁以上の値上げであり、全員退去した。流石に前払いの家賃だけは戻ってきたが、それでも日本の感覚では考えられないことを やらかしてくれた。

私は既に家を建てて、そちらにも住んでいたが、水道がないという問題があり、シャワーや洗濯、そして、現地にしばらく居ない間に荷物を保管する倉庫代わり、これだけで十分もとは取れた。街中なので、夜に店でビールでも飲んだ後、そこで寝ておけばよいので便利だった。ずっとそのまま居座ろうとしたところで追い出しを食らって、こちらは印象が良い分けがない。
フィリピン人の夫婦ならそんなものだろうと納得するが、オーナー夫婦はドイツで働いていて、旦那が外国人なので余計に納得のいかないものがあった。ドイツに住んで、宿の名前もDAS TRAUM、当然旦那はドイツ人かと思っていたが、ポルトガルからの移民ということだ。そう言われると確かにそういう顔をしている。

宿屋を始めた後、港に食堂を始めた。ここで客を見つけて、自分の宿に泊めれば都合が良い。良い場所に食堂を始めたものである。味も悪くなく、おかずの量も十分あったので、私もよく食べに行った。しかしながら、問題は表題のように仁義なき戦いである。元からあるChan Eateryの横に ドンと被せるように建てて、Chan eateryの中は、昼でも薄暗くなり、日本人の感覚だと暗くて食べる気にならない状況になってしまった。実際には電気を付けるので、そこまで状況は悪くないが、とにかく、こんな迷惑なやり方は、日本では考えられないと思った。Chan eateryの客を乗っ取ろうという魂胆も見え見えで、それは、日本でも 既存のスーパーの横に、同じようにスーパーを建てて、どちらかがつぶれるまで、安売り合戦の泥仕合をする話も聞くので それと同じかもしれないが、見ていて気持ちが良いものではない。日本のスーパーの例は、噂では聞くが、自分の目では見たことがない。

当初はDAS TRAUMが繁盛し、特に外国人を沢山ひきつけていて、Chan eateryは乗っ取られて、つぶれるのではないかと思って見ていたが、流石フィリピン、定型と言えるパターンをやらかしてくれた。食堂の味は落ち、量も減り客は激減した。さらに、以前は、半分はテラスになっていて、非常に明るかったが、雨でも沢山人が入れるようにと思ったのか、全部屋根をつけてしまったので、Chan eateryと同じように、暗い食堂に変身してしまった。さらには、明るくて外国人も好みそうな店を、以前からあるピザ屋がオープンし、島在住の外国人はほとんどそちらに行くようになったので、以前の賑わいはなくなり、廃れてしまった。バイクのレンタルを始めて、シキホール島はバイクでもないと不便ということもあり、そちらで経営が成り立っているように見える。しかし、これもフィリピンだけでなく東南アジア全体で共通だがシーズンがあり、日本や欧米の冬場は避寒客で賑わうが、それ以外は閑古鳥が鳴く状態とも言える。

以前より客は減ってしまったが、レンタルバイクも含め、島への訪問者の客引きをするには絶好の場所なので、ここに店を開いたというだけで、合格点と言えそうだ。

市長に疎まれ、営業許可を剥奪され、立ち退き命令が出たと島の住人に噂されていたが、その後2年くらい経過するが営業を継続できているので、デタラメな噂だったか、なんとか解決できたかどちらかなのだろう。

DAS TRAUMのことは良く知っていることもあり、話が長くなってしまった。他にも宿の方の話はいろいろとあるが、ここでは この程度にしておきたい。DAS TRAUMの宿もいろいろと課題はあるが、他に比べて割安に料金を設定していて良心的な方だという点を、補足しておく。

さて、この二つの食堂の戦いに、おまけの3店目が参戦した。何か物を売るためにDAS TRAUMが 少し店を拡張したのとばかり思っていたが、よく見たらTUMAMAK's BAR-B-Qという名前が書かれていた。以前DAS TRAUMがChan Eateryに対してしたように、隣の店舗にびっしりくっつけ、迷惑千万なばかりの店を真横に建てた。掘っ立てたというのが当たっていよう。極めつけは、宿の室料やバイクのレンタル料金などが書かれたDAS TRAUMの看板に店を被せ、ほとんど見えなくしていることであろう。(下の写真) こんな迷惑なことをフィリピン人はやるのだと 笑えるが、もしかしたら、日本でも同じようなことがあるのかもしれない。

もともとDAS TRAUMがあった場所には、バーベキューを売る屋台があった。実は、それがこのTUMAMAKだったとしたら、乗っ取ったDAS TRAUMに敵討ちしたということになる。確認すれば分かる話だが、どちらでも良いことだろう。

とにかく笑い話として楽しめ、今後の動向に注目したい。

客からすれば、コストパフォーマンスの良い店があればよいという話になろう。味もあろうが、各オーナーがおかずにどういう値付けをするか、そこが今後の動向に一番影響しよう。

TUMAMAKとDAS TRAUMの境目


Chan Eateryの閉店

既に、かなり時間が経過してしまったが、突然Chan Eateryは閉店してしまった。オーナーから話を聞いたところ、既に十分働いたとのことで、確かにその通りだ。まだまだ働けるとも言えるが、通常ならリタイヤする年齢でもある。娘が別の場所でケーキショップを開き、そちらは結構繁盛していて、たまにはそちらの店で顔を見ることもあるが、しばらくは顔を見ないので、ちょっと心配になったりもする。

とにかく、10年余りに渡り、昼食には頻繁に利用したので、閉店は非常に残念だ。特に、豚の角煮(ホンバ)は、味が少し濃かったものの、少量をご飯のおかずに食べるには調度良く、可能なら店を復活してもらい また食べたいと思う味である。

ここでは、仁義無き戦いとの題名にしていて、特に日本人から見れば、まさにその通りの実態だ。最初からあったChan Eateryが撤退してしまったのは、まさに乗っ取りが成功したというように見える。

しかし、当事者がどう思っているかは、また別問題である。

隣がサリサリストアを始めたら、真似をして自分のところも同じようにサリサリを始めるのは、フィリピンではよくあることだ。近くに沢山のサリサリが並ぶのも珍しくない。寺社仏閣のある門前町のような位置づけの場所なら納得できるが、何も無い普通の場所で、そんなことをするので、共倒れで儲からない店や痕跡だけの店が増える。

そのノリで、Chan Eateryの後から2軒できただけで、現地の人たちの感覚からすれば、良くあるパターンに過ぎないのだろう。


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