肺炎で亡くなったRosaLinda

2000年10月


RosaLindaと母親

シキホール島のTongo村に住む生まれて5ヶ月の女の子RosaLindaが肺炎でなくなった。フィリピンでは、RosaLindaと言えば、つい最近までテレビで放映されていた人気番組のヒロインで、名前を知らない人はいない。この番組はメキシコのものだが、本国メキシコ以上にフィリピンで流行った。そのヒロインにちなんで名前を付けられたのが、Tongo村のRosaLindaである。

彼女は生まれた時から喘息で咳ばかりしていて声もほとんど出ず、病弱な女の子であった。体重が一向に増えず、5ヶ月目でも4kgしかなかった。写真は3ヶ月目のものだが、身体付きは、最後までほとんど変わらず、手足も非常に細かった。

生後5ヶ月の10月になって、風邪をひいたのかさらに調子が悪くなって、親は病院へ連れて行きたいと思った。しかし、病院に行くと高い薬を買うことになり、薬代が払えない。また、入院にでもなったら、とてもその費用は払えない。家が少し村の中心から離れていて、日本ならライフラインと呼んでいる電気も水道も引けない状態。典型的な貧困家庭であった。

私は、頻繁にこの家に足を運んでいたので、病気がちなRosaLindaのことは気になっていた。しかし、喘息なら薬でどうこうよりも、冷水や冷気で刺激したり、水泳やスポーツで鍛えて治したとか、そんな話を聞いていたので、緊急に病院に行くようなことではないだろうと思っていた。

そして10月27日、RosaLindaの家に再び行ったのだが、非常に調子が悪そうであった。これは、一度病院に行った方が良いと感じたので、薬代くらいは私の方で出すことにし、とにかく病院に向かった。乗り物はトライシクルと呼ぶ乗合のバイク。途中で人が乗ってきて寄り道したりして、かなり距離も走り、時間もかかりRosaLindaは非常に苦しそうであった。私は横に座って、手を握ってなんとか励まそうとした。

病院に着いて、体温を測ると39.2℃。そして苦しい息使い。医者は、これは肺炎で、治るかどうか、後どれだけもつかどうかも分からないと言い出した。そして、すぐに入院、点滴を打ち、酸素を吸入させ、安静にさせた。頭が熱いので、氷で冷やし、足や手の先は反対に冷たくなっていたので、手でさすって暖めた。2時間半ほどして、そこそこ安定しているようなので、私は食事に行った。そして、どういう巡り合わせか、滞在していたところの隣人の親が肺ガンで同じく入院していたので、食事の後、そちらの病室の様子を伺いに行った。一時間足らずして、RosaLindaのもとに戻ってみると、余り調子が良くないとのこと。頭を冷やすのと、手足を温めるのを続けたが、手で身体を触った感じでは、病院に来た時以上に体温が上がっている様子であった。

ほんの10分ほどすると、看護婦が来て吸入の薬を吸わせた。吸入が始まり2分ほどすると苦しそうにしだした。私には、いつも苦しそうに息をしているとしか思えないのだが、RosaLindaの母親は、さらに苦しみだしたことに気づき、薬の吸入を止めた。すると、今まで、短く2回連続で、ハッハッと息をしていたのが、普通の人と同じ息遣いに変わった。楽になったのかと期待したところ、医者が簡易のポンプのようなものを持って再度現れた。そして、パイプの先にあるチューブを肺に突っ込み、人口呼吸を試すしか手が無いと言い出した。そう言うや、RosaLindaの息がだんだんと小さくなり、遂に呼吸が停止してしまった。

私は事の成り行きをあっけに取られて見ているだけだった。LosaLindaが亡くなった以上、もはや病院にいる必要はない。しばらくしてRosaLindaの家族と一緒に、彼女の家へと向かった。病院を出るとき、Pobre Pobre(貧乏だ、貧乏だ)と繰り返すと、料金を取られることはなかった。そのまま強行突破するように帰ってしまった。


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