学校に行けない子供をさがして

2000年4月

2000年8月


役場でのヒアリング 続編   2000年4月

2000年2月にシキホールの役場に行った時に、福祉の担当者から、学校に行けない子供の数を、村長会議で聞いてもらえる約束になっていた。そして4月に役所を再訪した。しかし、頼み方を間違えて、実際には聞いてもらえていなかった。 頼んだのが担当者で、担当者の上司でなかったのがまずかったようだ。担当者は上司から、ちょっと聞いたくらいでは正確な数字はわからないので、統計を担当するオフィスに頼んだ方が良いと言われ、村長会議で聞くのはやめるよう指示された。
 ・上下関係があるので、できるだけ上の人間に頼むべきであった点
 ・役所中の人間関係について、気にしていなかった点
が反省点だ。 

日本なら、会社であれ、役所であれ、一度外向けに約束したことであれば、簡単に、取りやめることは無いはずだ。 約束を破るとは何事か、責任者を出せと言うところだろう。しかし、ここはフィリピン。日本の常識は通用しない。そう言って、ただ諦めるだけでも、進歩がない。腹は立てないで、うまく皮肉を言って、それとなく反省を促すように言うのが、賢いやり方だろう。

大学に行けない元学生の例

シキホール島のSan Juanのビーチリゾートに勤めていた女性の話だ。
彼女はSSC(Siquijor State Collage)に在籍しているが、もう何年も
大学には行っていないそうだ。この場所からLarenaにある大学まで
ジプニーで行くのに、往復20ペソ以上かかる。それを毎日払うことが、
できないと言うのだ。フィリピンでは学費が安いので、大学も含め
進学率は高い場合が多い。しかし、交通費が払えず学校に行けない
ことも結構あるのだ。別の島でも、同じようにしてハイスクールに通えない生徒の話を聞いたことがある。
とりわけ、シキホール島のこの事例は滑稽に感じられる。すなわち大学の近くに家があれば、簡単に大学に行けるのに、家が大学から離れていると大学に行けない。すなわち、入学試験の結果を、くじで決めていて、偶数なら合格、奇数なら不合格等としているのと似ている。たまたま家が近くなら合格、遠くなら不合格といった具合だ。

フィリピンでは日本を含め外国からの資金援助で、学校もできて、教育は充実してきている。それなら、無料のスクールバスでも資金援助してついでにつくっておけば良かったのではと、考えたくなる。
そして、それはSSCの場合は確かにあった。キャンパスの中に入れてもらったところ、いかにも頑丈そうなVOLVOのバスが2台放置されてた。尋ねてみると、思ったととおり、スクールバスであった。そして、修理部品がないので、それが届くのを待っているとのことであった。このバスは外国の政府から贈られたものだそうだ。いかにもありそうな話であった。
本当なら、部品が届くことに対して、状況を確認するなど、私も何かアクションすべきところだが、そこまで手が回らず終わっている。


  校庭に置かれた故障したバス

学校に行けない子供をさがして歩き回る 2000年4月

Larenaの中で、最も学校に行くのが大変と言われているBALOLANG、
BALOLONGという村の近辺を歩いて、学校に行けない子供たちを探してみた。シキホール島で電気が来ていない19村の中になっており、確かに暮らしぶりは大変そうだ。しかし、幸か不幸かそのような子供は見つからなかった。やはり、Laziの山奥に行くべきだろう。
因みに、この当たりは山の上で景色の良いところが多い。


    Larenaの山奥の様子


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