前回紹介したとおり、耳の不自由なRodel少年は木から落ちて死んでしまった。この連載は、Rodel少年を何とか学校に行かせ、卒業して無事仕事に就くところまでを、延々紹介するつもりであったので、本来なら前回で打ち切るところである。しかし、Rodel少年の近所の子供たちとも、非常に親しくなったので、引き続きこの子供たちの日常を紹介していく。
Tongo村
まずは、これまで説明していなかったので、Rodel少年やその近所の子供たちの村であるTongo村のことを簡単に紹介しておく。Tongo村は、Siquijor島にある半農半漁の村。Siquijorの町からは、約4kmの海沿いにある。島の幹線周回道路からは外れていて、そのため、これまで水道が来ていなかった。今も、村の端までは水道が来たが、大部分の地区は、ポリタンクで給水する生活を続けている。電気も同様で村の端までは来ているが、そこから個別に引く必要があり、ここで紹介するTongo Kidsの家では、電気は来ていない。電線、電柱代に5万ペソ必要で、それが払えず、今もランプ生活が続いている。そして、家の前まで電柱が来て、簡単に電気が引けるようになる日をひたすら待っている。
村は島の中心地とは外れており、開発も進んでおらず、家も100mごとくらいにポツポツ建っている。考え方によってはかなり贅沢なところだ。子供たち
子供たちを紹介する。
← 後列 左端 Fearly P.Epanto 小学6年
Miss UNの候補になった左から2番目 Rhoda Ponce 高校1年
(高校・High Schoolといっても
日本の中学生と同じ年齢)
右端 Jozelyn Karen P. Epanto
高校2年 しかしRhodaの姪前列 左 Ralf P.Epanto 小学4年
右 Nonoi![]()
↑Elen Mae Ponce
↑Sean Ponce
一番のいたずら者
しかし、幼稚園で
昇進し、来年から
小学校に行くことに
なった。 ↑ 左からNonoi
Ronald P.Epanto
Angela Ponce 小学3年教科書
高校に入学して間がないRhodaに英語と歴史の教科書を見せてもらった。使い始めて数ヶ月の教科書にしては、結構くたびれているなと思っていたところ、実は新品ではないそうだ。教科書は10年くらい代々受け継いで使うそうである。あちこちに線が沢山引いてあり、良く勉強しているなと感心していたのだが、以前使っていた生徒が引いたものであった。
歴史の教科書はタガログ語で書かれていた。教科書は英語かタガログ語で書かれている。歴史の教科書の中では、昔の文字がどんな形をしていたか、セブアノ語、タガログ語等各方言ごとに紹介しているところがあり興味深かった。今は英語と同じアルファベットを使っているのだが、これらが、スペイン統治により変わったのか、それとも米国の統治でそうなったのか、非常に興味があるが、残念ながらいつから変わったか、教科書から読み取ることができなかった。他の部分も一通り見せてもらったが、レベルは十分高い。日本の中学と高校の教科書の間くらいか?
英語の教科書も、かなりハイレベルだ。年齢的には日本の中学1年と同じなのだが、This is a pen. のようなレベルではない。薬のラベルに書かれた服用方法の説明書きを読むといった実用英語が中心である。TOEICのテストが、そのまま教科書になったような感じだ。分量は、日本の高校の英語の教科書と比べても5倍以上ある。実用的で、レベルも高く、日本で教科書を作る人も参考にできそうな内容だ。
因みに英語の教科書の中ではないが、数学の最大公約数や最小公倍数といった用語も、すべて英語だけで習うので、英語の単語の数は相当なものだ。
だたし、課題は、彼らの話す英語から推定すると、教科書を本当にマスターできているのかどうかということ。日本の中学生と同じ年齢である彼らは、日本の高校生や大学生に比べれば、かなり流暢な英語を話す。しかし、彼らの英語は、かなりぶっきらぼうな言いまわしが多い。文法を知っているのかどうか疑いたくなる。 特に、現地語からの直訳調のためか、疑問文を話すのを聞いたことがない。従って、Would you . . .? Could you . . .? といった丁寧な表現を聞いたことがない。タガログ語にはpoやopoのような丁寧な言いまわしがあるが、それをそのまま直訳できる英語がないのも、彼らにはハンデなのかもしれない。
いずれにせよ、フィリピンの英語の教科書は私にとってもかなり有益だ。時間が有る時に、見せてもらって参考にしたい。