進学シリーズ
親戚の支援が得られなかったTinaの場合 

2005年 6月


Tina
前回、エプロン販売の
モデルになってもらった。

私の家の隣に住んでいるTinaも、今年ハイスクールを卒業して大学に行く。

フィリピンでは、通常、ハイスクールの卒業が4月で、大学の授業が始まるのが6月からである。日本だと、4月1日までに生まれたかどうかで、学年が変わってくるが、フィリピンでは5月くらいに境目がありそうだが、これがフィリピンらしく、いい加減だ。Tinaの場合、6月の後半に生まれているのに、前の年に生まれた子供たちと同じ学年に 紛れ込んでいる。逆に、近所の別の女の子の場合、Tinaより1ヶ月以上前の 5月の前半に生まれているのに、Tinaより1年後の学年に紛れ込んでいる。
知り合いの大酒飲みの大工の意見では、親が貧乏だと、予算がなくて1年くらい遅れると言っているが、ほんとかどうか怪しい。正式にはどこかで決まっていそうだが、厳密に実行されているかというと、既に上の事例が示すように、これも怪しい。
別の例で、近所の足の悪い男の子の場合には、幼稚園で先生に認められ、Promoteだと言って 飛び級を許された。しかし、私に言わせれば、いい加減な計算ばかりやっていて、このPromoteもかなり怪しい。
フィリピン流に、適当に学年を決めている実態があるのは間違いない。

わざわざ、学年の分かれ目について書いた理由は、Tinaは、年金暮らしのおばあさんから学費を出してもらう予定のところ、急遽それが駄目になり、このままでは、1年働いて学費を貯めてから進学するしかないという状況に陥った。それでも、もともとフライングしているので、1年遅れでも、ちょうどいいのではないかと、そうも考えられるからである。

しかしながら、本人にしてみれば、大変なショックのようであった。クラスメートが、ドゥマゲッティの大学の試験を受けに行っているのに、自分一人だけ取り残されて、とても悲しそうに「セブに働きに行く。」と言い出した。私は それを聞いて、あまりにも気の毒なので、1年分だけは私の方で学費の面倒をみると安請け合いしてしまった。1年遅れで進学するより、最初の1年だけでも友達と一緒に進学した方が良いだろうと思ったからである。

とにかく Tinaは進学できることになった。ドゥマゲッティまで行くのに、私は港まで送っていったが、とても嬉しそうに出かけて行った。面接の結果も 友達の中では2番目に良かったそうである。嬉しさが担当の先生にも伝わったからだろう。

Tinaは、Hotel and Restaurant Managementというコースに進むことになった。このコースは2年と4年の二つがある。同じコースの学生や、このコースを卒業してホテルで働いている人を、ダバオで 私は沢山知っていて、2年の場合と4年の場合で、就職してからの仕事の内容が大きく異なる様子を見ていた。2年だと、シーツを交換したり部屋の掃除をしたり、要するにHouse Keepingである。私は4年のコースの方が良いのではと、さんざん薦めたのだが、Tinaは2年に決めてしまった。私の方は、口では4年が良いと言いながら、学費の方は1年分しか保障していなかった。2年目以降は、絶対に出さないと言っていたわけではなくて、いつフィリピンに来なくなるかどうかも分からないので、よく分からないと言っておいたのであった。

私のいい加減な対応で、Tinaは2年に決めてしまい、これが、将来の仕事に大きく影響する可能性があるかと思うと、とても申しわけないことをしてしまった。
そう言いながらも、どうして 私が学費の面倒まで見ないといけないのかという疑問も残る。
ただ、そう言ってしまうと、ただのぼやきで終わってしまうし、実際にもそうではなくて、これは、当然肯定的にとらえるべきだろう。そうすると、Hotel and Restaurant Managementで学んだことを、活かせるようにどう協力していけるかということになろう。

Enrollの長い列

学費が安いので、Tinaや彼女のクラスメートは、ほとんど皆、ドゥマゲッティの公立の大学に入学しようとした。安いので希望者が殺到し、数時間で済む入学試験と面接を受けるだけでも、待ち時間を加えると3日近くかかったそうだ。

そして、極めつけは入学の申し込みである。Tinaは、火曜日の朝出かけて行き、「たぶん明日だ」という連絡が続き、結局、金曜日になって、やっと申し込みが済んだという連絡が来た。本人もサバイバーだ言っていた。 さらには、もう一人 クラスメートのJay Annは、月曜日に出かけて行って、土曜日にシキホール島に帰って来たので、「Enrollmentは済んだのか」と聞いたら、「まだ、済んでいない。」という返事がかえってきた。。
一週間以上 学生を並ばせて、一体この国は何をやっているのか?
スポーツの試合のチケットでも買うような感じだ。
そうは言っても、先日出かけた 米国のモンタナ州のボーズマンのハイスクールのEnrollmentでも、親がテント持参で並ぶそうだ。こちらは、遠距離通学を認めるようになった結果だそうだ。

学費

私の方で、学費を出すので、今後実績を詳しく調べ、紹介していきたい。
まずは、当初計画と言うべき皮算用である。多分、早々に破綻するだろうが、何か見積もりは欲しい。

Enrollの少し前、まずは、フィリピンの税収はこれまでの最高額だというニュースが流れた。それを受けて、大統領から公立の大学の授業料を昨年と同じに凍結するよう指示が出た。Tinaの通う大学では、授業料を一気に倍にするという噂が流れていたが、鶴の一声、授業料は安く据え置かれた。お陰で私の財布も助かった。

項目 費用 年間費用 説明
授業料 P4000/半期 P8000 P3000余りだそうだが、写真を撮ったりその他、諸々の費用のため、マージンをみた。
教科書代 P2000/半期 P4000 教科書の材質によっても、値段が違いそうだ。
下宿代 P500/月 P5000 4月、5月は休みなので、年間10ヶ月で見積もった。
食費 P1200/月 P12000 毎日買うおかずの予算をP40とした。
交通費 P100/月 P1000 通学は通常歩くが、雨が降ると乗り物に乗る予定。
小計 - P30000 授業料より、その他の費用の方がずっと大きい。

その他、既に下見・試験・Enrollでの交通費・滞在費としてP2000程度払っているので、これも加えるべきだろう。さらに、食事を作るのに鍋も無いと言っているし、石鹸やシャンプーなど日用品も必要だろう。大切な文房具も当然必要だ。シキホール島に戻ってくる旅費も必要だ。シキホールからドゥマゲッティの大学に通う お金持ちの子弟は、毎週末、家に帰ってくるが、普通は年に4、5回程度だろう。かばんや衣類は、既に普段からかなりあげている。
学校に行こうと行くまいと、食事は必要なので、食費は自分で払えと言いたくもなるが、そうなると、ほとんど食べるものが無くなるのは目に見えているので、そんなに厳しいことも言えない。
年間でP40000程度が必要になりそうだ。安くあげようとドゥマゲッティの大学に通うことにしたはずが、Mirryliiの倍以上かるのは、どこかおかしい。たぶんMirryliiの皮算用の方が、かなり苦しいことだろう。ボホール島の大学にも、問い合わせに行ったが、学費が払えず脱落していく学生が沢山いるということであった。


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