最近の訪問者

2009年5月作成 

  


3月の後半からゴールデンウイークにかけて、多くの方か来られた。4月から燃油サーチャージが安くなったことも影響したようだ。ただし、多いと言っても、こちらはホテルではないので、月に何十人も訪問者があっては、時間的に破綻してしまうし、泊まる場所も足りなくなる。こちらのコテージに泊まってもらえば、滞在費はほとんどかからないし、気軽に長期で滞在して行かれる方も少なくないので、週に一人の訪問者でもこちらは手一杯なくらいである。それでも、希望する方は来てもらって、できる限りの対応をしたいと思っている。

私の方はフィリピンの田舎に住む貧しい人たちの支援が目的で現地に滞在しているので、訪問者もその手の取り組みに関心がある方が少なくない。そして、皆さん、さらに目が肥えてきて、ただ物や金品をあげるだけの支援では飽き足らず、一つ上の段階を目指している方が多い。
ただあげるだけの悪い例としては、家族が外国に出稼ぎに行き沢山仕送りがあると、現地に残った家族が、仕送りがあるのにどうして働かないといけないのかと言い出す場合が挙げられる。貧しい人々に対する支援が先々の状況を改善するために役に立っていれば良いが、依存症を育成しているようでは考えものであろう。だから無意味だというのではなくて、特にフィリピンでは、十分相手を選ぶ必要があるということだ。

例えば、私の家の前を毎日使い走りでサリサリストアーに買い物に行っている小学校低学年の女の子は気の毒だ。母親が病気で、おばさんのところに住まわせてもらっているが、ろくに学校にも行かせてもらえず、水汲み番をしていることが多い。そして使い走り。あまり学校に行けないので進級も遅れている。私が日本からカバンなどを持って来た場合には、その子に優先的にあげているし、訪問者が文房具を持って来て下さることも多いので、やはり優先的にその子に渡している。

もう一人の例は、以前 パンツをはかない少年として紹介したJRの場合である。親が貧しいので隣の家に里子に出されていたが、突然母親がやってきて、レイテ島に連れて行ってしまった。その後の消息は噂でしか分からないが、水汲みばかりさせられ、ろくに学校にも行かせてもらっていないそうである。利発な子で、2歳になりたてくらいから、ビサヤ語は十分話せたので、私も言葉の練習を兼ねて、毎日何時間も話相手をしていた。こちらに居れば、学校に行くのもいろいろ支援できたはずで、気の毒なことをした。


少し余談になってしまったが、ここでは最近の訪問者の方々を紹介する。特に差し支えないはずなので実名とする。本人から要望があれば、Aさん、Bさん等に変更する。

埼玉県の関さんは、フィリピンは始めてだったが、ホームステイを希望して こちらにやって来られた。最初は、一般的な日本人のフィリピンへのイメージと同様で、かなり不安を抱いて来られたが、シキホールでは、フィリピンの他の田舎と同様、人々がフレンドリーで、居心地が良いのがすぐ分かり、数日にしてフィリピンファンになってもらえた。そして、日本に帰って、1ヶ月も経たないのに、また戻って来られた。
文房具を沢山持って来てもらったので、現地の子供たちは助かったが、ある家では、父親が「私へのお土産は?」と言い出した。日本では考えられない物言いで、これを聞いて、当然失望されたわけだが、フィリピンの実態を知るよいお勉強にはなったはずである。
関さんは、焼き肉屋のマスターで、仕事柄、日々人を相手にしていることも手伝って、沢山の家を訪問し、短い間に沢山の知り合いができ、草の根国際交流という意味では、既に十分な成果を挙げられた。目標をそこに置くのも決して悪くはないが、できれば、何か貧しい人たちの将来のプラスになることをしようということで、思考錯誤を続けてもらった。
近所に若い女の子が一杯いるので、日本の独身男性を結婚相手に紹介しようということになった。いろいろプラス面があり、私も良い話だと思う。しかし、反対に課題も少なくなくて、それを十分把握してから話を進めるべきであろう。私がそういう話をすると、後は野となれ山となれで、問題が起こったら私の方で面倒みてくれという話になったが、それはかなり難しいことだ。

それに関連する話だが、どういう決着が付くのか 私にはよく分からない事態がいきなり起こった。嫌われそうなので、削除しようかとも思ったが、もしもほんとうに日本人男性が来られたら、その方には特に読んでもらいたいので、そのまま残しておく。

ホームステイを始めて、次の日には、隣に住む親戚の若い女性に結婚相手に相応しい日本人男性を連れてくるという話をされた。程なくして、今度は別の家に行って、そちらには、もっとかわいい独身の女の子がいるのを見て来られた。女の方から叱られそうな物言いになりそうだが、結婚相手は、容姿よりも気立てや性格が大切だというのはその通りであろう。しかし、お見合いはお見合い写真が必要なのも事実だろう。すぐ後から、もっとかわいい独身で適齢期の女の子を近所で見かけたというのは、難しい問題に私には思える。さらに言うと、もしも、日本人男性が実際に現地に来て、近所をウロウロされるともっと厄介なことになるかもしれない。美人を沢山見かけるからだ。
私にとってみれば、これは、「フィリピンでは、特に事情を知らない外国人には 即断即決は良くないことが多く、十分現地の状況を把握してから始めた方が良い。」という話のよい事例である。

その他の支援として、ホームステイ先の主人が器用な人で、民芸品のサンプルを作ってもらい、もう少し改良して、販売できないかという話が進んだ。

ホームステイ先が あばら家では、普通の日本人には居心地が良くないので、そこそこ小奇麗にしてある家を選んだ。それでも、インスタントラーメンを家族で分けておかずにして食べていることもあり、普段は質素な暮らしぶりの家である。私もずっと以前から親しくしていて、ホームステイしてもらっても特に問題ないところを選んだ。お礼として、家族に直接、それなりの金額を払ってもらっているので、十分家計の足しになっている。

東京の溝渕さんはJICAのOBで、支援活動の専門家である。現役時代は、何十億円というお金を動かしていたということである。フィリピンにも赴任の経験があり、それが現役を退いた後 フィリピンを訪問されるようになった理由であろう。JICAの当時、沢山の案件と係ってきたが、どれも書類上のみの仕事で、結果もレポートが上がってくるのを確認するだけで、現地を見に行くようなことはなかったそうだ。それも関連するが、仕事は自分の意思や思い入れとは関係なく、上からの指示や決められた手順に従って行うので、通常は、自分の思い通りにはできなかったそうである。役所も会社もそういうことが多く、同じ場合が多いと言えそうだ。それに対して、私の方では、個人のポケットマネーでできる範囲で、基本的に、他から支援を受けずに、自分のやりたいことを、好きなように取り組んでいる。そういうやり方を気に入ってもらい、こちらのHPを参考にするようになったということである。
現状では、古着やその他 役立ちそうなものを日本から持って来て、現地の人々に渡して活用してもらっているとのことだが、他に何か支援の良いアイデアはないかと、こちらは問われている。まさにそういう方のために、「ボランティア20の実験」を書いているのだが、フィリピンはなかなか手ごわくて、そう簡単に良いアイデアは出てこない。私の方は最初から3勝17敗を目標にしているくらいで失敗が多い。失敗は成功のもとと思っていろいろ書いているようなものとも言えるが、何とか役に立つ情報を提供したいものである。


名古屋の杉本さんは、ドゥマゲッティの近くにあるアポ島に知り合いが多く、毎年 何度かそちらを訪問されている。今回はアポ島の学生を二人連れて、こちらに来られたが、10年前に私がアポ島に行った時、撮った子供たちの写真を見せると、そこには同級生も写っていた。小さな島のことなので、他に写っている当時の子供もみんな知っているということで、話が盛り上がった。
他の方と同様で、物を持って行く以外の何か良い支援の方法はないかと相談したが、そう簡単に結論が出る分けではない。こちらのHPでは、ペンパル募集のコーナーも設けているので、アポ島の特集をやれば、外国人とのつながりが出来て、少しでも良い展開を期待できるかもしれない。子供たちと仲良くなって、学費を支援してくれる人が出てくれば良いと、こちらは身勝手な期待をしているわけだが、とにかく、何かのきっかけになるかもしれない。
私の方の取り組みの一つとして、自習用にパソコンを貸し出している。アポ島では電気が来るのが夜の数時間だけなので、パソコンを使うのも大変だ。インターネットは、ほとんど、または全く使われていないようである。それでも、携帯電話は使える。それなら、Smartが売り出しているUSBのモデムをつければ、それなりにインターネットにつながるので、誰も使っていなければ、そこそこのスピードが出るかもしれない。それも試せば、さらに、いろいろな可能性が広がるかもしれない。
実際には いつアポ島に行けるか目処は立っていなくて、不渡りになるかもしれない。しかし、ここに書いておくことで、少しは優先順位を上げ、何とか現地に行き、結果を報告したいものだ。


奈良の野町さんは、シキホール島の山間に住む家族と知り合いになり、そこに何度かホームステイされていた。私の家にも何度か来てもらったが、私の方も山の家の様子を見に行った。その家の周辺からは携帯電話がつながらないので、何か良い対策はないか、まずは一緒に検討を始めたところである。
ホームステイ先は、とても環境が良く、家の周りには、手入れの整った広い庭がある。家も十分な広さがあり、ホームステイは快適なはずである。しかしながら、電気が来ていない。50mほど離れたところまでは電気が来ているので、私の見積もりでは、6千ペソも出せば、電球とコンセントぐらいは付けられそうである。夜に蛍光灯式の電球を1つつける程度なら、私の隣の家と同じで電気の消費は月に2〜3kwhで、20〜30ペソ程度で済んでしまう。初期投資の資金がないということである。
一方 このファミリーは、野町さんに対して、「あなたの好きなところにコテージを建てても良い。」と言ってくれているので、野町さんの方はその通りにして、近い将来、リタイヤーして、そこに移住か長期滞在したいそうである。そこで、私の提案は、コテージを建てる場所の整地と周りのガーデニングを、そのファミリーに発注し、その手間賃で電気を引くということである。発注者が 現地にいない間にお金を送って、仕事をしてもらおうとしても、うまくいかないことが多いので、現地を訪問した折に、指示監督してもらい、自分が帰った後の見込みが十分立てば、電気を引くために、まとめて支払を済ませても、なんとかなりそうだ。
手前味噌な話だが、何かのきっかけになることを期待して、こちらにもノートパソコンを貸し出す予定である。それと電気を引く話も関連しているが、当面は隣で電気が来ている家に行って、借電というとになろう。
コテージに対して私の提案が続く。オーナーが不在の間は、この家族が管理して、部屋を貸し出すということである。土地を無料で提供してもらっていることもあり、儲けはこの家族が受け取ることにすれば、良い支援になる。単に部屋を貸すだけでの儲け過ぎは他に良くない影響も与えかねず、せいぜい一泊200ペソ程度にして頂きたい。そうすれば、私の方でも、安くて良いところがありますよと、他の人に宣伝したい。貸し出しに向くよう、オーナーの所有物で、無くなったら困るものだけを、安全に保管するための物入れがあった方が良い。セメントで固め、頑丈な扉にカギがかかっていて、まずは盗られる心配がないものである。これは、この場合以外にも、現地にコテージや家を建てた場合に、自分が居ない間 誰かに住んでおいてもらうというのは、いろいろな長所があり、同じように使えるノウハウと言える。


奈良の藤田さんは現役のサラリーマン研究員で、ゴールデンウィークにシキホール島でガイドを雇いたいということで、こちらに来られた。ガイドにアルバイトの学生二人を雇い、私の方も他についでがあったので、車を出して、一緒に島を一周した。また、フェスタに行ってもらったりした。藤田さんは最近増えてきたフィリピン人講師のオンライン英会話レッスンを受講していて、英会話の練習に興味があり、ガイドの一人は今年からハイスクールの英語の教師に採用されることになっていることもあり、会話がはずんで、日本に帰った後も、ガイドをインストラクターに、オンラインで英会話レッスンをすることで話がまとまった。帰国後、初回は私の家で試してもらったが、放っておいても、何時間もしゃべっているので、特にフォローは要らなさそうである。因みに、そこで一つ思ったのは、通じない場合に、言い換え (in other word)ができれば、役に立ちそうということだ。
わざわざフィリピンに来る人なら、英語だけでなくタガログ語やビサヤ語にも興味がある人がほとんどのはずで、場をもたせる意味でも、英会話レッスンの後に フィリピンの言語も練習してもらうのは悪くない。その説明に英語を使えば、英語の練習にもなる。
藤田さんが既に受講しているレッスンでは、講師はUP(University of Philippine)の学生だけだが、一日最長4時間働けば、月1万ペソ程度の収入になるそうだ。近所の日本人経営のビーチリゾートで働く学生は、給料が週に300ペソで、学校に通うジプニー代は何とかなっても、昼飯代にも事欠くそうである。それに比べて、こちらは、時給は一桁以上良くて、学生としては、十分な収入であるる。UPは通信制もあるので、近所の学生にこれを勧めるのも悪く無さそうである。そちらのレッスンの受講者側から見た欠点は、講師が毎回変わることで、それが結構ストレスになるということである。
今回のようにガイドに引き続き英会話レッスンのインストラクターになってもらう場合には、相手は同じでその欠点はない。


神戸の桑原さんは、元エンジニアで、現役引退後、絵を描いたり、旅行に出たりして、悠々自適の生活を送っておられる。二月にシキホール島に来られたが、その時は私が不在で、メールで情報を提供しただけだった。それでも、島を気に入ってもらえ、二ヶ月後に再度シキホールにやって来られた。しかしながら、今回バイクで島を一周している途中、カーブで舗装のない部分で転倒して怪我をされた。たまたまホーリーウイークで、船も動かない日にあたり、救急以外は病院もやっていないので、病院に行くタイミングを逸してしまった。結局、日本語が通じた方が安心だろうと、私のところで しばらく安静にして、帰国のフライトを待つことになった。帰国後、肋骨と鎖骨の骨折であったことが判明し、日本で治療して順調に回復してもらっているが、普通なら二度とフィリピンには来ないという話になるはずだ。しかし、それでもまだ、シキホールを気に入ってもらっていて、怪我から回復すれば、数ヶ月後に再訪したいということである。
この方も先の関さんと同じで、フィリピンの人々のフレンドリーさを気に入ってもらっていることと思う。
近所に住む日本人を一緒に訪ねたら、その隣の人たちが、ちょっと一杯と勧めてくるので、一緒に酒盛りに加わる。この手の話は、場所によっては危険なこともあるが、シキホール島で このような状況なら問題ない。すぐに仲良くなれるのがフィリピンのノリである。お昼時に歩いていたら「めし食って行け。」 これがフィリピンの田舎では普通である。現地の人はHospitalityというが、これが肌に合う人は、フィリピンは居心地が良い。しかしながら、後でずうずうしいおまけが付いてきたりすることがあるので、それには気を付けないといけない。

事故に遭われたため、私の家にしばらくおられたので、他の方と同様で何か良い支援の方法はないかと いろいろ相談した。桑原さんは水彩画が得意なので、それを何とか活用できないかという案があがった。現地の人に水彩画をそのまま描いてそれを売ってもらうのは、長い道のりになるが、水彩画の輪郭だけがあるものに、色付けだけしてもらうなら、それほど練習時間をかけなくても、そこそこ売れるものができるのではないかということである。印刷物ではなくて、人が色付けしたものには付加価値があるはずという計算だ。
道のりは長そうだが、とにかく、次回は、シキホール八景の原画を描いてもらうことになった。例えば、San Juanの夕照、Laziの晩鐘などが登場するはずだ。三十六景では、多過ぎて大変だ。

他にも、いろいろ支援のネタを相談したが、高級ビーチリゾートに外国人が沢山やってくるだけでも十分意味があるという話では、私と意見が食い違ったままである。桑原さんの主張は、外国人が高級ビーチリゾートに泊まって、お金を使えば、地域にお金が入ってきて経済が活性化するという話である。普通ならまさにその通りで私も同意するが、フィリピンでは違うというのが私の意見である。フィリピンでは労働搾取率が恐ろしく高くて、高い宿代を払っても、外国人オーナーが儲かるだけで、従業員は低賃金で働かされているだけである。リゾート経営がうまく行き 儲かっても、オーナーのドル預金が膨らむだけだろう。また、左団扇のリゾート客を 周りのあばら家の住人が指を加えて見ているだけというのが実態である。

また、外国人が、現地を気に入って、そこに住みたいと思い、周囲の土地を買い出すと地価は高騰し、現地の貧しい人は とても土地など買えなくなり、反外国人感情が高まる。さらに、乗り物のドライバーが外国人相手にボッタクリを始めたのが、現地の人にも波及する。ドゥマゲッティやシキホールでは、7〜8ペソからトライシクルに乗れるが、例えば観光地化したプエルトガレラでは、最低50ペソは払わないと トライシクルに載せてもらえない。

話が長くなるので、この程度にするが、高級ビーチリゾートに泊まって、無闇にお金を使うよりも、現地の人の家にホームステイして、お礼で、直接その家にお金を払った方が、現地の人の役に立つというのが私の意見である。ただし、日本人が、普通の現地の人に家に泊まるのは、トイレ一つをとっても、簡単ではない場合が多く、この案も100点満点とは言えない。
私のところに無料コテージを建ててあるが、無料にしている理由は、そこで浮いた費用の一部分でも、現地の貧しい人の支援活動に使って欲しいと思うからである。そう言っても私のところに寄付を置いて行ってもらっても困る。それを有効に使うためのこちらの仕事が増えるだけだからだ。自分で友達を沢山作って、その中から支援に相応しい相手を見つけてもらいたい。


もう一人 神戸の中井さんは、昨年末に来られて、三月 再度来られる話になっていたが都合がつかなかった。中井さんは、セブの慈善団体で、約半年間 日本語講師のボランティアをされていた。折角なので、私の方がセブに行った時に、日本語の授業の様子を見学させてもらった。ジャピーノとそのお母さんを日本に送り出し、日本で働いてもらおうということである。日本に出稼ぎに行く母子の経済的なメリットが大きいが、日本の受け入れ側の企業は、それ以上にメリットがある。全体の構造をよく把握する必要があろう。中井さんは単にボランティアであり、その手の話をすると嫌われてしまいそうである。胡散臭さはないと言われていて、その通りなのであろう。
フィリピンでは何事も疑わなくては生き残れないというのが私の実感で、日本人から嫌われそうなことを、どうしても書いてしまう。

他にも何人か来られて、また、何人かキャンセルや行き違いで来れない人もあった。

そしてゴールデンウイークの後はパタッと訪問者は途絶えた。連休前に新型インフルエンザが流行りだし、当面は、新たに航空券を買う人は、皆無に近いはずである。
それでも、上に挙げたいずれの方も、数ヶ月から半年程度の間には、また戻ってくる予定とのことである。


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