カロリング攻撃

2004年2月


クリスマス休暇前の最後の授業が終わって、カロリングに繰り出すハイスクールの生徒

シーズンは終わったが、クリスマスの期間中、日本のお年玉のように、出費がかさむのがカロリング(Caroling)である。持っていたタガログ語の参考書によると、カロリングは、「子供たちがクリスマスキャロルを歌いながら、家々をねり歩く。」と訳されていたが、肝心のことが省略されている。歌が終わると1人に1ペソずつ、あげないといけないのだが、そのことは、参考書には書かれていない。
カロリングは、出費から言うと、お年玉に近いが、内容から言うと、正月の後にやってくる獅子舞に近い。

とにかく、年齢に関係なく頻繁にやってくる。
この攻撃を避けるため、クリスマスの期間は、どこか 人里離れたところに身を隠しておいた方が良いと思ったりしたが、そうもしてられない。私の場合、前の年までは、下宿屋に暮らしていたので、部屋にこもっておけば、無視していても良かったのだが、今回からは、自分の家に住みだしたので、何か対策が必要になった。

そこで、最初にカロリングに来たグループに、私はキリスト教徒ではないので、カロリングは必要ないことを伝え、歌は止めてもらい、用意しておいたお菓子を1個づつ与えて、お引取り願った。お菓子の方が、1ペソよりははるかに値打ちがあるので、喜んで帰って行った。その人たちは、子供ではなくて成人で、彼らが私のところはカロリングは受け付けないと噂してくれたのか、とにかく、その後、恐れていたような集中攻撃はなかった。

ある時、洗濯をしていたら、子供が数人やって来て、こちらの様子を伺っていた。目配せしながら、洗濯を続けていたら、「外国人なのにお手伝いも雇えず、貧乏だ。」と思ってくれたのか、しばらくして、諦めて どこかへ行ってしまった。

結局、私の住んでいるところは、かなり人里離れていて、わざわざカロリングに来る人は 少なく、来ても お菓子を配っておけば 十分対応できることが分かった。
次回からは、歌は、クリスマスソングでなくて、普通の歌にしてもらい 拒否する態度は残しつつ、半分受け入れるつもりだ。

ただ、町の真ん中に住んでいたとしたら、まとめて団体でやって来ることも多く、大きな出費となることだろう。無条件で受け入れ出すと、大げさかもしれないが、1ペソコインを何十kg用意しても足りないことになりそうだ。

一方、大きな塀を建てて、中にこもって周囲とは別の世界に住んでいれば、カロリング攻撃などは無視しておけばよいだけのことだが、それだと周りの人との交流がなくなり 悲しいものがある。やはり、いろいろな人と接した方が楽しいので、全く無視するわけにもいかない。

住んでいる場所によって、さじ加減するのが良さそうだ。


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