GMA TINDAHANと200ペソ札

2002年9月


アロヨ大統領の名前(グロリア)が入ったTINDAHAN(お店)の看板

私の住んでいるアパートの別の住人が、看板屋を始めたところ、大量の注文が舞い込んだ。


政変でエストラーダ前大統領が失脚する前までは、Erap Sari-sari(サリサリ)の看板をいたるところで見かけた(Erapはエストラーダ前大統領の愛称)。しかし大統領が変わるや、看板はあっという間に消えて無くなった。さて次はどうなるのかと注目していたところ、今度はGMA(アロヨ大統領の略称)の名前の入ったTINDAHAN(ティンダハン、お店)の看板が登場した。サリサリからティンダハンへと名前が変わっているのも楽しいが、大統領が変わるたびに、いろいろなものが変わるのは、いかにもフィリピン的で楽しい。

他にも、大統領の名前の入った、Priority Projectのとても大きな看板も、当然のように名前が変わっていった。さらに、注目したいのは200ペソ札だ(写真は省略)。GMAの父親の肖像が登場している。

日本でも2000円札が登場した時、発行に向けて 総理大臣がかなり張り切っていたが、総理大臣の親戚の肖像が使われるようなことは、もちろん無かった。

フィリピンのテレビで、「マルコス元大統領が、自分の肖像をお札に載せた。そんなことは独裁者のすることだ。」 そう言って非難している番組を見た。GMAの父親が肖像にふさわしい人物かどうかの議論は避けるが、大統領本人はダメでも、父親や親戚なら良いというのが、フィリピンでのお札の肖像の人選の基準なのだろう。

日本で2000円札をあまり見かけないのと似ていて、フィリピンでも200ペソ札はあまり見かけない。それでも、銀行の手持ちの200ペソ札すべてかき集めて 両替してもらい、それを田舎に持って行って使う。すると 珍しがられると共に 喜んで受け取ってくれる。偽札の多いフィリピンで、見たことも無い200ペソ札を受け取っても大丈夫かと聞いても、これは新札で問題ないと言って誰も疑わない。新しいもの好きと言うか、とても好意的である。日本の2000円札の受け入れられ方とはかなり違う。

さて、GMA TINDAHANの看板だが、私の住んでいるアパートの住人のうちの二人が看板屋を始め、彼らに この看板400枚の注文が来て、大忙しになった。手作業なので大変だが、大量の注文が来てそれなりの経済効果ではある。

しかしながら、そんなことに政府の予算を使うよりも、例えば、海底ケーブル(電線)を買って、フィリピンの島々をつなぎ、電力供給を安定させてもらえれば、とても嬉しい。


2002年9月9日更新

以上を書いたあと、あるホームページで200ペソ札を載せているのを見かけた。そして、200ペソ札の裏には、実はGMAの顔があった。手持ちの200ペソ札で確認しても、確かにGMAが登場している。しかし、名前は書いておらず、かなり控えめな載せ方だ。