フィリピンで散財すれば、現地の貧しい人々が潤うか?

2009年11月作成





シキホール島にやってきた日本人の一人は、「私のような外国人がシキホール島に来て、お金をどんどん使えば、島の経済が活性化して、貧しい人々の生活も潤う。」 と主張された。他の大抵の国なら この論理は通用するだろうが、フィリピンでは、そう単純ではない。 
この日本人と正反対の意見は、これまでに何度も紹介しているが、シキホール島の元青年海外協力隊員の主張である。私の方で HPにシキホール島の観光案内を書いているが、それは止めて欲しいということだ。理由は、そんなことをしても、ビーチリゾートの外国人オーナーが儲かるだけで、現地の貧しい人々は潤わないということである。 私もこの意見を真摯に受け止め、無料コテージをつくって、そこに泊まってもらい、節約できたお金の一部でも良いから、どこかへ別の場所に行って貧しい人々の支援活動に使って欲しいと主張してみたり、ホームステイ先を紹介して その家に直接宿泊の代金を払ってもらったり、直接貧しい人々が潤う方法をいろいろと考えてきた。

この二人の日本人の主張は両極端で、現実はその間にあるはずだが、フィリピンでは、金持ちが貧乏人からお金を吸い上げるシステムが確立している。そのため、外から入ってきて使われたお金で利益が出ても、そのほとんどは、金持ちの懐に入るだけだという見方が、フィリピンに そこそこ長く係わった人の間では、ほぼ共通の認識であろう。

二つ例を挙げよう。

まずは、知り合いがマウンテンバイクを買うのにローンを組んだら、月賦で1年も払わないのに、利息を含めて支払いが倍近くになっていた。本人は月々の支払いが幾らで、十分払えるかどうかということが関心事で、「何パーセント利息を払っているか」と聞いてみても、正確には把握していない。借金には、貸し倒れ、踏み倒しが多いので、話は単純ではないが、借り入れの高金利は、貧乏人からお金持ちへのお金の流れの典型的なものであろう。

もう一つの例は、法定賃金どこ吹く風の低賃金で、労働分配率が非常に悪いという話である。近所の日本人経営の宿では、そこで働く勤労学生が、その宿に泊まるには、2ヶ月以上そこで働かないといけないという計算になり、一日働いても牛乳の1Lパックも買えないほどの低賃金で働いている。これに対して、ドゥマゲッティでNGO活動を続けておられる日本人のところでは、安い賃金では現地の人々は生活できないと、自分のところで働いている人たちに、この宿より1桁高い賃金を支払っておられる。両極端とも言えるが、搾取と支援の違いであろう。

フィリピンで貧しい人々がなかなか収入を挙げられず、普通にしていては、貧富の差は拡大する一方だという例は、他にも沢山挙げられる。とにかくお金を使えばよいのだと主張されていた この日本人に対して、私の方でも具体的にいろいろ説明し、その方も 滞在中に いろいろ経験して 現地の状況が飲み込めるようになり、今では、この件では、この方と私で ほぼ意見が一致するようになった。


続く話としては、

・どうすれば、貧しい人々が十分な収入をあげられるかという話と、
・そんな他人ごとへの興味の有無や係わる必要性の有無

この二つが考えられる。

前者は、最近ではラーニングセンターで職業訓練を始めていることなどを含め、私の方ではいろいろ試しているが、道半ばというか、真ん中までも到達していない。もともと私の方では、いろいろ試した結果をインターネットで紹介して、参考にしてもらい、別の場所でも試してもらうというのが主眼なので、他人頼みだが、真似をする人が増えることを願いたい。

後者は、私も趣味で勝手にやっているだけだが、私のところの訪問者も、それなりに同様の興味を持って頂いている場合が多いのが有難いことである。

他人のことなど知ったことではないという意見も聞かれるかもしれないが、例えば、外国人の移住者が、フィリピンで豪邸を建てて、贅沢三昧に暮らし、周囲の人のことなど気にせず暮らしているとどうなるか。ビレッジで隔離されているところなら、風当たりは強くないはずだが、あばら家の横に豪邸を建てたりしたら、いろいろと問題が起こっても不思議ではない。相当嫉妬される可能性が高い。 シキホール島とは違うが、ある島に住む日本人は 自宅からそう遠くないところでダイビングしていたら発砲されたそうである。体を狙ってはいなくて 威嚇と思いたいが、物騒な話である。その人は、大通りから自宅までは、当初は地元の人が普通に使っている道を通っていたが、イケズをされて通れなくなり、別途権利を買って新たに専用の道を造ったそうである。

インドネシアで通貨危機の後、華僑が排斥を受けて国外に脱出した事件はまだまだ記憶に新しい。


別の日本人から、ドゥマゲッティの町は、モールやホテルなど、行くたびに新しい建物も立ち、発展しているという指摘があった。これはフィリピンの多くの地方都市でも同様であろう。社会が豊かになれば、当然底上げも図れるというのが、日本に居れば、普通に思うことであろうが、そうやって町が発展しても、フィリピンのことなので、皆が豊かになるというよりも、貧富の差が拡大する可能性が高いというのが私の見立てである。

知り合い二人の例を挙げておく。

一人は、大学を卒業して、なんとかホテルに就職できたが、スペル間違い1回ごとに罰金を支払わされ、ミスを繰り返していては、給料は消えてしまうということで、最初の頃は実際にも ほとんど給料をもらえない月もあったそうだ。教育的配慮もあるのかもしれないが、やり過ぎであろう。 
また、清算はチェックアウト時ということで、客がしばらく滞在した後、そのまま無銭宿泊で 客が逃げてしまったことがあったそうだ。その損害を、すべて従業員に負わせ、給料から天引きされたそうである。お金を払ってからでないと泊めないように 経営側が決めているのに、従業員が従わず、それで逃げられ損失が出たのなら、従業員の過失も大きいだろうが、そうではない。後払い可とホテル側で決めていて、従業員は普通に注意を払っていたが、逃げられてしまい、損はすべて従業員に被らせる。これでは あんまりであろう。事件後は、よくあるように前払いに変えたのは間違いなかろう。日本ならブラック会社とよばれるだけではすまない話だ。

もう一人は、新しく出来たショッピングモールに勤め カバン売り場に配属になったが、ノルマで決まっている個数のカバンを最低でも売らないと、その日の給料はもらえないそうだ。これも日本では考えられない。仮に プロ野球の選手が、ホームラン1本から何本までは、一本当たり幾ら。 何本から何本までは幾らと 契約で決めたとしよう。この場合、最悪 ホームランが出なかったとしても、年棒ゼロという話は考えられない。
エージェントとして外で売り歩く 完全歩合の場合、売り上げゼロなら当然収入もゼロになろうが、ショッピングモールの売り場で働いているのに、このような話は、日本では考えられない。

フィリピンで散財する話は間接的な関係しかないが、労働者、特に貧しい人々に富が還元されず、潤わない仕組みは、この二つの例からも十分に分かるはずだ。


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