Puerto Galera Wedding

2009年 1月作成
2009年 2月更新



結婚式を待つ教会内の様子

教会の横の海
さすが観光地のPuerto Galera. 教会も海の見える一等地に建てられている。


Puerto Galera在住の遠藤さんの結婚式に出席したので、その時の写真を紹介する。

結婚式は1月3日、地元の教会で行われた。
日本で行う結婚式なら、例え500kmくらい離れていようが新幹線を利用して日帰りというのが普通であろう。しかし、こちらはフィリピンである。念のため、3日前から移動を開始した。船の欠航のリスクなどを考え、早めに移動した結果である。具体的に言うと、3日前の早朝にシキホール島を出て、船とバスでセブまで行き、その次の日の朝マニラに飛んだ。元旦の朝のセブ発だけ ピークでも安い航空券が残っていた。元日のためデパートが営業していないので、マニラで一泊して、次の朝デパートでお祝いの品を買おうと思っていたが、デパートは朝早くからは開かない。もたもたしていると、Puerto Galeraに渡る船に乗り遅れては困ると心配になってきた。そこで、お祝いは現地調達に切り替え、マニラ宿泊は止めて、2日前から現地入りした。

Puerto Galeraに着くと 風が強く、生憎 天気も良くなかったので肌寒いくらいだった。私の方は、二日続けて早朝から移動で、寝不足が続いたこともあり、風邪気味になってしまった。それでも、結婚式当日は 運よく天気は回復し、暑くもなく寒くもなくちょうど良い気温になった。

結婚式は午後3時から行われた。年明けで、しばらく期間が開いたのも影響したようで、この日は3組の合同結婚式であった。そのため、通常より余計に時間がかかり、式は1時間余り続いた。

親戚・関係者の入場

最後に新婦の入場

特に指示はなかったが、時間が来て音楽が始まると、関係者が順次入場して着席した。私はジーパン、ポロシャツ姿。フィリピン式の正装を借りて参加する気もしないので、外野からカメラマンとして参加した。シキホール島での結婚式なら正装している人の方が少ないが、こちらでは、2/3程度は正装していた。それでも、私と同程度の普段着の人も少なくなくて、前の方の席に陣取って座るのでなければ、ポロシャツ程度でも問題なかった。

結婚式の服装について、もう少し補足しておく。もしも日本からわざわざやって来てフィリピンの結婚式に出席するということであれば、女性の場合は、現地の人と同じドレスを借りてもらうのが一番であろう。お揃いのドレスをセットで借りて、ユニホームのように着ているのをよく見かけ、それに加えてもらうのが手っ取り早い。これが中国だったらチャイナドレスを、誂えてもらうのが一番だと思うが、今回の結婚式では、テルノは 若い女性では見かけなかった。街中の普通のパレードでも、米国式の衣装が主流だが、結婚式でも同様で、見かけるのは、大抵、派手で露出度の高いドレスだ。
男性の場合は、靴とスラックスだけ持参すれば、バロン・タガログを借りて着ておくのが手っ取り早い。これは、透けていて、下にTシャツを着るのが正装だと書いている人もいるし、子供は下にランニングを着ていたりする。地元の人に合わせておけば、間違いないだろう。
これが、私だったら、バロン・タガログはパスして、何か日本から持って行きたい。しかし、日本で着ている礼服では、黒社会の人と勘違いされないかと心配(?)だし、もう少しカジュアルなものが良さそうだ。と言ってもそんなに洋服を持っているわけではないので、とにかく、少し明るい色のネクタイを締め、それに合わせるくらいだろう。
ほとんど、私の個人的な意見になってしまったが、参考になるなら、そうして頂きたい。

式の始まりを待つところ。

3組の合同結婚式で、
真ん中が遠藤夫妻。

Q&A 英語とタガログ語を選択。
答えは、Yes. Fatherのみ。

儀式は、沢山あって、延々と続く。

同時に3組が式を挙げ、同じことを3回繰り返す場面が少なくなかったが、それでも、いろいろな儀式が次から次へと とり行われた。簡単だとは到底言えない。もしも、これからフィリピンで式を挙げる人がいれば、同じ教会で、他の人の結婚式を前もって見ておき、予習しておいた方が良いというのが今回の印象である。ただし、シキホール島での結婚式なら、かなり簡略で、予習の必要など要らないと思う。

披露宴が行われたNAGURA BEACH

焼き始めの豚の丸焼き

披露宴は、地元で有名な日本人の名倉さんが建てたNAGURA BEACHで行われた。名倉さんは、「フィリピン」と「日本人」をキーワードに検索すれば簡単に見つかりそうなほど有名な方で、いろいろな本で彼の紹介記事を読んだことがある。せっかくなので話を聞きたいと思ったが、残念ながら既に3年ほど前に亡くなられていたそうだ。ご冥福をお祈りしたい。替わりに奥さんからいろいろ話を伺った。レイテ島出身で、話は英語、ビサヤ語交じりになった。

雰囲気の良い場所での披露宴で、私は満足だったが、自宅で食事を振舞った方が近所の人々が来易いという意見も出たそうだ。


二日前からの現地入りだったが、さらに、式の翌日の行事にまで参加させてもらった。新婦の家族は、マニラ周辺の自宅から、ジプニーをチャーターして来ていたが、そのご一行様に同行して、翌日ビーチへピクニックに出掛けた。

White Beach

White Beachへ出る細長い公道
タイや米国でも見かけるが、有名ビーチに、なかなか出られないというのは、悲しいものがある。

財閥アヤラのプライベートビーチ
入り口には、立ち入り禁止の看板は出ているが、実態としては、他の人が入っても文句は言わない。プライベートビーチとは書いたが、ビーチ自体は公のものだ。
結婚式も出席した子供たち。 とにかくよく遊ぶ。式の当日は女装して出席していた。

折角なので、Puerto Galeraの他の様子も紹介しておく。

市場

肉、魚、野菜、観光地なので何でも高めで、住民の生活は大変そうだ。

市場の近くの商店街

町のようす

今回泊まった遠藤邸の横のアパート

私には、十分快適だった。通常の日本人観光客は、高級ビーチリゾートに泊まることになるはずだ。

道路工事の現場に積んである岩石。
地面に沢山この岩が含まれているので、道路工事の途中これを集めて、後で個人的に売るそうだ。調べてみたが、緑泥石片岩に近そうだ。シキホールでは全く見かけない。
市場の近くの海岸は、流木などの漂着ごみだらけだ。観光客向けのビーチでないと、こうなるということだろうが、いつか、ごみ拾いのキャンペーンが行われることを期待したい。


近くにある少数民族の集落

教会、学校と便所は綺麗な建物である。便所はメンテナンスが不十分で壊れていた。ここで、直売民芸品を買って帰った。


今回のPuerto Galeraで、一番景色が良いと思ったのは、帰りの船からの眺めを最後に紹介する。Muelleからバンカに乗ったが、値段が安いと思ったら、White Beach経由であった。そのMuelleからWhite Beachまでの間で、綺麗なビーチを沢山眺めることができ、雰囲気が良かった。陸路からこれらの綺麗なビーチへたどり着く道も、たぶんあるはずだ。

MuelleからWhite Beachへ向かう船の中から見た いい感じのビーチ

Muelleの港

White Beach
ここは、ホテルの大幅供給過剰で、市場原理に従い、部屋代の大幅値下がりを期待したい。しかし、頑丈な造りの建物で、地価も高く、安くしては投資回収できないということだろう。まともな考えのオーナーと話をしてみたいものだ。
こそっと書くが、流石フィリピン。ただでは帰れない。バタンガスに行く船は途中で、エンジントラブル発生。乗組員が修理しようとしたが、結局ギブアップ。別の船に救助された。トラブルを思えば、高くても、エンジンが複数付いている船に乗った方が良さそうだ。


船の到着地の関係で、行きはSabangに到着し、10分ほど 遠藤さんに町の中を案内してもらった。ここは、Puerto GaleraのAngelesとでも言えそうなところで、そちらを徹底紹介すれば、アクセスは大幅に増えることだろう。しかし、そちらは守備範囲外なので、他を参照願いたい。 因みに行きのBatangas/Sabangの船の運賃は230ペソ。帰りのMuelle/Batangasは120ペソだった。 Sabangで夜に外国人が大金を使うのと関係しているはずだ。


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