シニア・ハイスクール

2015年10月作成





近くのハイスクールの敷地内で工事が始まった
シニア・ハイスクールの校舎

フィリピンでは、2016年からシニアハイスクールがスタートする。これまでのハイスクールの後に 2年シニアハイスクールが加わり、シニアハイスクールを卒業してから大学に進学することになる。日本では、初等・中等教育の6・3・3で12年を18歳で終了するが、米国など多くの国でも18歳までとなっている。ところが これまでのフィリピンでは、6・4の10年で2年不足して、16歳で初等・中等教育を修了して大学に進学していた。それを他国と同レベルにするため、シニアハイスクールが追加される。これまでは、フィリピンから海外の大学に進学する場合に、初等・中等教育の教育の年数が不足していたので、どこかでさらに2年教育を受ける必要があったし、フィリピンへ留学して大学を卒業しても、他国の大卒とは同等に見なされにくかった。シニアハイスクールの導入により、これまでの課題を解消できる。一方、新たな問題点も生じてくる。

大量に校舎を新築

当面の課題としては、新たに大量の校舎を建設する必要があることだが、シキホールでは、私の近所でも既に建設が始まっている。
直感的には、これまで、教室で大学1年A組と書かれたところを、シニアハイスクール1年A組というように、シニアハイスクールから大学院まで、2年ずらして名前を書いておけば、当面は、教室をあまり増やさなくても済みそうに思う。

しかしこの単純なやり方では、例えばシキホール島の場合、これまで大学に入るのに、大量にドゥマゲッティに下宿して通うようになっていたが、今後はシニアハイスクールから、大量に下宿を始め、ドゥマゲッティに移ることになり教育費が膨大に膨らんでしまう。実際にはそのような方法は採用されず、地元のハイスクールの敷地に、シニアハイスクールの校舎を新築し、住んでいる地元で通うことになっている。

別の現実としては、ドゥマゲッティでは、そんなに一度に校舎を建てられないし、建てる場所もなかったりしていて、ハイスクールと校舎を共用して、二部制で授業を行う場合もあるそうだ。

2年間、大学入学者がいない → 大量に教師が失業

日本では、このような大胆な移行は実施が不可能かと思われるが、予定通りなら、シニアハイスクールからの卒業生が出るまでの最初の2年間は、大学への入学が止まってしまう。日本でも1969年に東大入試が中止されたことがあったが、たったの1校で1年入学者がないだけでも、大きな影響があったはずだ。フィリピン全土で2年間、大学への入学が無いというのは、余りにも影響が大きい。学生街の喫茶店からもブーイングが起こりそうだし、奨学金を貸し付ける金融機関も、日本だったら黙っていないだろう。何よりも、大学の教師は2年分の仕事が無くなる。日本だったら、2年間研究に勤しんで、給料も支払われそうだし、必要なら2年分の失業保険が支払われそうだ。 この点について、先生などいろいろな人に疑問をぶつけてみるが、聞かれた方も同じ疑問を持つだけだ。
唯一得た返答としては、フィリピンの大学では、もともと教師は パートタイムで授業を持っているだけなので、授業が無ければ他で収入を得るので平気だという人がいて、ある程度当たっているのかもしれないが、やはり大変だろう。授業で使うプリントを高く学生に売りつけ、収入の足しにしている教師もいたりするが、授業がないと、その手の副収入は得られない。

大学の教師は大量に仕事を失うので、当面シニアハイスクールで教えてもらったら良さそうだが、シニアハイスクールでは、新たに教師を採用するそうで、この案は現実とは違い 失業対策にはならない。もともと教師の職は足りていないので、Work shareという観点では、その方が良いとも言える。

以前のハイスクールを卒業生した人は、従来どおり大学に入学できるのか、そこも不明だが、もしもそうだとしても、入学者がほとんどいない状態が2年続くのは間違いない。


2年間、大学卒業者がいなくなる → 企業が新卒を採用できない

大学入学者が2年間いなくなる その4年後、今度は、留年組などを除くと、2年間 卒業者が出なくなる。日本のように新卒の一括採用が一般的な国だったら、とんでもない大混乱だろう。日本なら このような変革は、実施できるとは到底 思えない。しかし、フィリピンでは、新卒は経験がなくて就職に不利な状態だと言え、既卒で仕事がなくて困っている人が沢山いるので、2年間大学の新卒がほとんど出なくても、日本に比べると影響はかなり少ないのだろう。


シニアハイスクールの授業

現地の先生から聞いた話では、シニアハイスクールでは、数学、英語といった基礎の科目と、各生徒が専攻する専門の科目に分かれるそうだ。専攻は、ミシン(Dress making)、木工、美容などがあり、学校によって違うそうだ。当事者の話によると、国立のシニアハイスクールの場合、建物や教師は国が準備するが、設備は学校の方で準備する必要があるそうだ。それで、寄付して欲しいという話がやたらと出てくる。


ここに書いたことは、いろいろな人から聞いた話をまとめたもので、非現実的に聞こえ、たぶんキャンセルされるのだろうと思っていた。

しかし、校舎の建設が実際に始まっており、このままだと、予定通り実施されそうな状況になってきている。

ただし、来年 蓋を開けてみないと確定しないので、何か現実に違いが出れば、内容を更新したい。


影響

シニアハイスクールによる影響は いろいろあろうが、私自身が受けた影響・とばっちりについて、最後にまとめておく。

7年ほど前から、シキホール島でフィリピンの文部省(Dep ED)に所属する先生たちと一緒に、ラーニングセンターとよぶ職業訓練所のようなものを運営している。最初の5年ほどは順調に授業が行われていたが、その後シニアハイスクールの構想が降って沸いた。特に関係なさそうにも思えるが、ラーニングセンターで職業訓練をしていて、シニアハイスクールでも同じようなことを始めるので、内容が重複するのが問題になった。シニアハイスクールとラーニングセンターの先生の所属は異なるが、同じDep ED内ではあり、どちらも税金を使って国から給料をもらって、授業を行っている。 教える対象は 年齢層などが異なるものの、内容がかぶるのは良くないので、シニアハイスクールの登場で、ラーニングセンターの授業は取り止めになってしまった。

そもそもDep EDの先生の要望でラーニングセンターを始めたのに、言い出した側の都合で授業をやめるとはとんでもない。こちらは授業を再開するよう要求を続けた。しかし、受け入れられず平行線が続いていた。

当初は、Dep EDの先生が要望し、小浜市にあるNPO Thymusの方から支援したいというオファーがあり、私はそれを取り持つべく、建物の建築をサポートし、パソコンなどの自分で揃えていた機材をそちらに移管し、メンテナンスや運営のマニュアルを先生に作ってもらうのをフォローしてあとは任せる。全部でせいぜい2ヶ月ほど時間をかけるだけのつもりであった。しかし、フィリピンはそんなに甘くなくて、いつも見張って、問題が起これば解決しないと、すぐに止まってしまう。おかげて、のべ何年もの時間を費やすことになった。

当初の予定とは異なるが、散々時間をかけて取り組んできたので、シニアハイスクールの出現で、授業が止まり、このまま授業を行わないままというのももったいない。そこで、Dep EDの先生以外で、村の鍛冶屋や村の仕立て屋にインストラクターを依頼し、自分でもパソコン教室で教えたりして、授業を再開した。


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