岡井・鵜飼? オタン・ウータン?

2008年 10月作成
2012年 8月更新



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記憶の助けになるかと思い、ちょっとまとめてみた。

岡井・鵜飼?

フィリピンで古着はukay-ukay. この発音が日本人には岡井派と鵜飼派に分かれる。鵜飼派は、日本人が、そのまんま読んだら、鵜飼・鵜飼しかないということになる。一方、岡井派は、そのまんまでは困る。現地の人がみんな岡井と言っているのだから、岡井・岡井しかないということである。近所の人が岡井・岡井と言っているので私も岡井派。それでいいはずと、ずっと思っていた。
ところが、これを書き出して、確認のためインターネットで検索してみると、実は鵜飼派が優勢であることが分かった。インターネット上では、漢字ではなくて、カタカナ表記になるが、それをまた漢字に戻すと、岡井派より鵜飼派の方が多い。岡井派は、ビサヤ地方に行った日本人がほとんどで、鵜飼派はそれ以外。 観光でセブに行く人は多いので、岡井派もそれなりに健闘しているとは言える。結局、タガログ語、ビサヤ語の違いで、それぞれ、鵜飼派、岡井派に別れ、私の方がビサヤ語圏に住んでいるから岡井派に組したというとこになろう。

こちらでプロジェクトを一緒にやっているOCAYさんは、日本人メンバーの中では岡井さんと呼んでいる。日本人メンバーの中に、岡さんがいて、岡さんと岡井さんは、当然だがお互いの名前をよく覚えている。岡井さんのことを岡井・岡井さんと言ったりするとまずいことになる。

先日パラワンに行ったら、UK-ukayと書いてある店を見かけた。UKから古着を持って来て売っているということだろう。

オタン・ウータン?

借金は、フィリピンの言葉ではutang 近所の人の話を聞いていて、毎日オタンという言葉を聞かないことが無いほどなので、私はオタン派だが、先日ウータン派の日本人を見かけた。そこで、インターネットで検索したら、圧倒的にウータンである。

どうやら、これも、ビサヤ語、タガログ語の違いで決着が付きそうだ。

しかしながら、日本語でウータンと書くと、その発音は、普通なら 表題でオタンの代わりにオランとした場合に続くウータンの発音となろう。私が聞いた日本人の発音もそうだった。タガログ語ならインターネットで、発音を聞くことも容易なので、それで確認したが、ウは少しは伸びるが、ウータンと書くほどではない。また、ウータンと書けば、ウーで下がって、ドレミで書けば、ミドドド。ウータン、ブータン、ロボタン、みな同じで、関東、関西も同じ、普通はこれだろう。どこかにドドミドの地域もありそうが、少数派だろう。

それで、ウータンよりウタンだと言いたいが、すでに大勢は決していて、検索エンジンでは圧倒的にウータンである。私は今後もオタン派だ。


どこかの権威のある先生が書いたものをまとめ直したのではなくて、ど素人の私が疑問に思ったことを、検索エンジンで引っかかった例をいろいろ見ながら、判断した結果が以上である。本人は間違っていないと思っているが、誤りがあればご指摘願いたい。


(2012年8月更新分)

最初に取り上げたのは、発音の話題だが、ここではその意味の方に進んで借金の話を紹介する。

最近、シキホール島の私の周りでは、オタン(借金)付いている。

まずは、隣の娘が結婚したが、その旦那が借金の取立ての仕事を始めた。こう書くと日本語の内容と異なっていて、毎日集金に行くだけである。会社まで乗り込んで、脅して取り立てるような話ではない。しかし、どう見てもあまりお勧めできるような仕事ではない。毎日バイクで集金に回る。こんなことをしていては、経費がかなりかかりそうだが、取立てのコストをはるかにしのぐような利息なのだろう。月払いでは大金になって払えないので、毎日少しずつ取り立てる。フィリピンでよく見かける光景だが、以前からインド人がそうやって集金に来ているのはよく見かけたので、インドのノウハウが入っているのは間違いないだろう。どうせ、さらにその前の伝播の源があるはずだ。

市場の魚売りや、八百屋のおばさんたちもやたらと支払いを迫られている。フィリピン式に毎日請求に来るので、なんとか払えるようで 払い続けるのであろうが、見ていても、貧しい人から金持ちがお金を吸い上げるシステムであるというのがひしひしと伝わっている。金利は業者によってまちまちだろうが、延々と取り立てが終わらなという様子から、とんでもなく高利で、利息だけ払わせて、元本がなかなか、もしくはいつまでも減らない仕組みであることは容易にわかる。下手をすると、高利貸し側が主張する元本は、日に日に増えているのかもしれない。日本国もそうなっているので、人のことをつべこべ口出しできるような立場でないとも言えるのかもしれない。

市場の中でも、私がいつも野菜を買っている店は、仕入れのお金にも事欠いているのがよくわかる。とにかく、売っているものが少ないのである。愛想が良いし、ボッタクリもないし、何とか買ってあげようとするが、買うものが無ければどうしようもない。反対に、その前の店は、野菜が山済みだが、あまり売れていない。

馴染みの店は、以前はどんどん商品が減ってゆき、最後に店が閉まったので遂に夜逃げかと思ったら、出かけていただけで、しばらくしたら戻ってきて、営業を再開した。今は商品の量は少し増えたが、それでも、前の店と比べると圧倒的に少なく、客がいて売れるのに売るものがないという 機会損失があるのは間違いない。

売っているものが少ないというのは、通常ならサリサリストアでよくある話で、そちらは、売り上げと利益の違いを理解していないオーナーが、売れたら全額儲けだと誤解し、手元の現金を適当に使ってしまって、新たな仕入れができないという幼稚な話であることが多い。


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