梧州(Wuzhou)

2013年 4月



梧州は、広州から西へバスで4時間程度のところにある広西チワン族自治区の町。初めて中国に行った1987年に この町に立ち寄った。その時に見た

  「窃盗、死刑」

という壁新聞の文字が強烈な印象で、中国は激しい国だと思ったものだ。まだ一元50円の時代。90年代から21世紀へと開発が進む前で、ひなびた田舎町だった。一体この壁新聞を何処で見たのか、それを探したくてこの町を再訪しているのだが、見つからない。

初回の中国の旅は、香港から国境を越え 鉄道で広州へ。そこから、自転車で桂林を目指した。ところが夏の暑さと、幼稚園の砂場のようなダートの悪路のため、二日で行き倒れして、途中から船に乗りたどり着いたのがこの梧州だった。疲れているので、一番良さそうなホテルに泊まり、次の日、運賃17元 日野のバスで桂林に向かった。

初回はデジカメ時代のはるか前、残念ながら写真はなくて、最近の写真を紹介しておく。

梧州は河沿いに発展した交通の要衝で、桂林からの漓江も流れ流れて、この町で大河に合流する。 中山公園・中山記念堂の入り口にある孫文の銅像と天下為公の文字
北部の軍閥に対抗するため孫文は
この町に立ち寄った。
中国のどこでも見られるが、この町でも
大きなマンションが立ち並んでいる。
中山路 春先で、サクラのような花が咲いていた
しかし、花は大きくて、サクラでは無さ
そうだった。
ちょっと古びた建物のある生活臭が
漂う通りも残っている。
秋刀魚を売る屋台@中山路

最近の中国の流行のようだ
バスターミナル
以前は町中にあったが、バスが増え
郊外に移動した。
バスターミナル横の安宿街
林立していて、競争のためかなり安く
泊まれそうだ。

今回泊まった賓館
バスターミナルの近く

今回泊まった部屋
通常の二部屋を一室にしていて、
ちょっと広過ぎ。


宿探しの失敗談を少し紹介しておく。

バスターミナルの近くで、大きな看板が出ていて、一泊千円余りで、広州などと比べ十分安いので、そのままそちらの宿に泊まった。しかし、荷物を置いて後から近くを散策してみると、その半額程度の値段で 良さそうな宿が並んでいた。泊まった部屋は 通常の二部屋分を使っていて、小奇麗にはしてあるものの、無用に広いだけで ソファーや家具がいろいろ揃っているわけでもない。広さを値段の高さの言い訳にしているのがよくわかった。このホテルは、ビルの反対側にも入り口があり、そちらは、安宿街に面していて、それぞれの宿の外側には、20元、30元、40元というような料金が大きく書かれている。安宿街側から入った客は、他と比較するので、高い部屋には泊まりそうにない。安宿街と反対側で、たどり着いた入り口の方にも、40元の部屋はリストに上がっていたが、相部屋と書いてあるように読めた。

泊まった部屋の廊下を挟んで反対側には、入り口の間隔が半分で、普通の広さの部屋も並んでいて、そちらが40元の部屋ということだろう。

旅先の食堂で、食べきれないほどの量を出して、それで料金を吊り上げるというのは、結構経験するが、宿の部屋をだだっ広くして、それで料金を吊り上げるというのは、今回が初めてで良い経験ができた。

もしもまたこの町に来るころがあれば、横の安宿街で部屋を探すことになろう。


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