特集 COアイランド・ホッパーで行くマジュロ

第五部 島歩き

2008年6月作成



ダウンタウンを歩く

ダイビング以外には特に何も無いというのが マジュロに限らず南の島の一般的な姿であろう。私の場合はダイビングもしないので、何もすることが無いと言われそうだが、タウンウォッチは嫌いではないので、ブラブラ出かけてみた。

ダウンタウンのメイン通り

バス、タクシー待ち場兼
雨よけのシェルター
グアムでも沢山見かけた。

Bikini Atoll Town Hall
ビキニ環礁役場が、こちらに
移っている。水爆実験後の
強制移住の関係だろう。

とある教会
日曜日だったので沢山の人が来ていた。教会らしくない建物だが、見かけなどはどうでもよいことだろう。

現地でRREと呼ばれているホテル
日本人もよく泊まる

中国語の看板。世界中どこでも同じだが、ここでも中国人が住んでいる。

警察署
自転車の盗難を届に行った。

アラレ博物館
地元の歴史の展示が中心

共同墓地

アメリカの墓石と形が似ている。

墓有るお家
自宅の前にお墓を作るのは普通なら
躊躇する人が多いはずだが、
この島では普通だ。

歩いて離島へ渡る

泊まった宿から1時間くらい歩くと、環礁で細長い島の一方の終点に たどり着いた。普通ならここで引き返すところだ。しかし、ここは環礁。引き潮の時には、さらに先の島まで つながっているのである。途中で出会った警察官の話では、午後4時頃までは陸続きなので、それまでに帰ってくれば問題ないとのことであった。

歩いて到着した島の端

さらに行くと、歩道のようにセメントで
固めた部分がある。

セメントが割れている部分から鉄パイプが見えていた。水道や電線がその中に入っているようであった。

100mほどしか離れていないところに、最初の島があった。しかし、ここは無人島。無人くんは相手にせず、
さらに次の島へ進むと、タワーが建っていたが、そこも無人島であった。

最初の島

二つ目の島

そして3つ目で、やっと有人島にたどり着いた。暇そうなおじいさんに尋ねてみると、島の名前はEjit Island エジット島ということだった。残念ながら、二つの無人島の名前を聞くのを忘れてしまった。たぶん、名無しさん島なのだろうが、それを確認したかった。 家の中の人にも尋ねようと、一軒の家に近づくと 犬に吠え立てられた。仕方ないので、家から離れ、海ぎわを歩いていると、期待していたより随分早く潮が満ちてきて、既に陸続きではなくなってしまったので、途中靴を脱いだりして 急いで引き返した。何とか本島に戻り、時計を見ると午後1時。「おまわりさん、話が違う。」と言いたくなったが、無事戻れたの良しとした。

三つ目の島 家が見えてくる

家が散在している

行きは、町の様子を見たいので、歩いたが、この島では、タクシーは乗合なので、安いものである。少し多めに1ドル50セント払うと、運転手は"Thank you." と言ってくれた。後からは慣れてきて、通常の50セントだけ払って乗るようになった。

島はずれにあるLaura村を歩く

環礁の細長い島で泊まった宿から数十キロ離れ、反対側にあるのがLauraという村。ここまで、自転車で行く予定だったが、自転車は行方不明になってしまったのでバスを利用した。途中、バスを降りて 写真を撮りたくなるような景色の良いところが沢山あったが、時間の都合もあり、バスから見るだけで終わってしまった。Laura村は、小さな店の前に人がずっと座っていたり、時間がゆっくり流れているように感じた。フィリピンの田舎の島と同様だ。

Laura村の道路

島の子供たち

ビーチから遠くに見える隣の
島々を見る。

木を覆うように生えている蔓の植物は
フィリピンでもよく見かける牛の好物だ

やしの木の根の周りが波で侵食を
受け倒れてしまった。

放し飼いの子豚

物価高

泊まったホステルのすぐ近くにスーパーマーケットがあり、そこへ毎日買出しに行った。地元で採れる野菜やマグロなどは安いが、店に並んでいるものは輸入品がほとんどで、割高感が漂っている。亀田のあられ(柿の種) 7ドル、
フィリピンの安酒で1ドル程度のはずのジネブラ 700cc 6.89ドルなどだ。

この島に長居したり、住民になったりするには、かなりの生活の知恵が必要だろう。場所は違うが、私の例では、フィリピンでは牛乳はニュージーランドなどから輸入し、日本より高いので、買わない、飲まない。現地のカルシウムたっぷりの水を飲んでおけば十分だといったことだ。





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