フィリピン・パラワン特集

第五部 今どきの先住民族バタック

2008年 12月作成



パラワンの山の中に住む先住民族バタックの村を訪ねた。最近はフィリピン内では決まったところ以外は ほとんど旅をしていないので、ガイドブックも10年近く前のものしか手元になかった。そこには、バタックのことが紹介されていたのだが、今どきは、インターネットカフェができているのではないかとか、民族料理のレストランがあるのではとか、それとも、1万年前と同じ暮らしをしているのではないかとか、いろいろ思いをめぐらしたが、百聞は一見にしかずで、現地に行ってみることにした。
ガイドブックには近くの宿に泊まって、そこでガイドを頼むように書いてあった。しかし、エルニドで泊まったコテージの女主人の話では、現地のバランガイ・キャプテン(村長)のところに行って、手配してもらえばよいということだったので、女主人に教えてもらったバランガイで車を降りて、バランガイキャプテンを訪ねると、実はそこではなくて隣のバランガイだということが判明した。隣のバランガイまでバイクで送ってもらって、そこからガイドに一人付いてもらい、バタックの人たちが住むところまで連れて行ってもらった。
ガイドのところに着いたのは午後のことだったが、ガイドの話では、目的地まで1kmほどしか離れていなくて、バイクで行けばすぐだということなので、そのまま現地に向かった。しかし、実際には、かなり離れていて、おまけに、橋のない川を何度も歩いて渡らないといけないので、かなり大変だった。女性にはお奨めできないと個人的には言いたいが、途中ですれ違った先客で40人ほどのドイツ人グループには、かなりの女性が含まれていた。 性別でどうこう言うのは適切ではないのだろう。ただ、現地に着いてからかなり雨が降ったので、帰りは水が1mくらいの深さのところもあり、しかもかなり流れが急だったので、この状態では子供は無理だ。乾季なら、水量は少ないそうなので、それなら問題なかろう。

夕方には帰るつもりだったが、現地に着くや激しく雨が降り出し、帰るのは大変なので、皆から泊まって行けと言われ、教会の裏で泊まった。電気も水道もなく、セメントの上に寝るのでかなり厳しかったが、貴重な経験ができた。
私を見るなり、何日泊まっていくのかと聞かれたが、この地にコテージを建てて、住み着いても誰も文句は言わないだろう。

川を渡るバタックの人たち

こんな丸木橋もあった。2本にして欲しかったが、1本だけなので苦労した。ガイドに手を取ってもらい何とか渡った。

訪問した地域には、全部で50人くらいのバタックの人々が住んでいるそうだ。すべて家長であるおじいさんの家族で、かなりの数が、その孫とのことであった。 このようなバタックの集団が全部で15あって、山の中に分かれて住んでいる。このおじいさんの家族は、20年前に山奥から降りてきて 現在の土地に住みついたとのことだ。

インターネットカフェや民族レストランはなくて、電気も来ていない。しかし、古いガイドブックに書いてあったような原始人の生活ではなくて、普通の貧しいフィリピン人の生活ぶりであった。おじいさんはふんどしだったが、他の人は、普通の服を着ていて、大昔のように、葉っぱを身に付けているということではなかった。お母さんの何人かは、胸を出していて、昔のなごりを残しているが、その程度である。

国道沿いに住むフィリピン人の話では、バタックの人々はたまに、バナナやキャサバを売りに来て現金を得て、それで塩などを買って帰るとのことであった。バタックのおじいさんの話では、稲作もしているそうで、収穫した米を見せてもらった。先のドイツ人に加えて、その日は、韓国人のグループも7人来ていて、そちらも道ですれ違った。ビデオカメラや大きな三脚も持っていて、テレビの撮影ということだった。韓国人は米を50kgおいていったそうで、おじいさんがみんなにそれを分けていた。砂糖やコーヒーをもらうこともあるそうだ。観光からの差し入れが一番の収入源のようでもあったが、長く見ているわけてもないので、正確なことはよく分からない。

子供たちは最近は学校に行くようになっているそうで、1年、2年、4年生などがいるとのことであった。しかし、私の行った時には、川の増水のためか、学校へ行っているようではなかった。

何か役に立つにことがないかと、おじいさんといろいろ話をした。 パパイヤを植えれば良さそうだったので、試してみてはと提案したが、種がないとのことであった。フィリピンの他の地域と違って、パラワンではあまりパパイヤを見かけなかった。地質が影響している可能性もあるが、パパイヤは気温さえ高ければどこでも育ちそうだし、ここでも、問題ないはずだ。また来る機会があれば、種を持って来たい。

家はフィリピンの田舎でどこでも
見られるニッパ・パット

キャサバやバナナなどを植えている。

韓国のテレビ局が撮影に来て、それでもらった米を皆で分けているところ。

教会に集まる人たち


シキホール島でも、いろいろ支援活動を試みているので、ここでも何か支援できることはないか、現地の様子を踏まえて考えてみた。

私が しばらく、ここに来て いろいろ試してみるのは楽しそうだが、シキホールからは遠いので、実際には難しそうだ。誰か興味のある人の参考になることも期待して 書き留めておく。

一番 引っかかる点は、観光客が原始の生活を期待してここに来るので、それと支援活動が競合しそうなことである。現地には、十分立派な教会が建っていたが、これも観光の観点からは疑問が出よう。観光客は、太古のような粗末な建物。葉っぱを身につけて、裸に近い格好で踊って、狩の獲物を食べている様子を期待しているはずだ。普通のフィリピン人と同じでは がっかりということになりそうだ。

どこかのNGOからの支援があるか聞いてみたが、無いそうだ。観光とバッティングしそうで、NGOの支援も難しそうである。

観光は立派なビジネスなので、観光客が喜びそうなことを、パフォーマンスでいろいろやって、沢山客を呼び寄せ儲ければよいのでないかという考え方もできる。儲かれば、そこからは少し離れて、観光客の目に入らないところに立派な家が建つということになろう。それとは反対に、訪問者からの差し入れを当てにするのは、乞食同然であまり良いことではないという考え方もできる。
個人的には、Give and takeで、支払いや 差し入れに見合う、働きがあればそれで良いと思う。ただ、観光客向けにわざわざ昔の格好をして、やらせとも言えそうなことをして儲けようとするのなら、少しやり過ぎだと私は思うが、これは人によって意見が分かれるはずだ。

歯切れの悪い書き方になっているが、現状のままだと、普通に観光に行っても期待外れで終わりそうだ。しかし、そう書くと、観光客が減って現地の人たちの収入が減るという悪い宣伝をしているだけになりそうで、悩ましい。と言いながら、既に書いてしまった。

支援について、これまで私のやってきたことの延長線で考えると、まずは、パソコンを持ち込んで何かできないかということになる。電気がないが、パラワンでは、電気が来ていないところで、太陽電池を使っていることが多いので、そちらは簡単に設置できそうだ。観光客を意識して、少し離れて、観光客の目に入らないところに設置することになろう。山の中なので、盗難の心配も少なそうだ。パソコンを何に使うかは、別途 書いているようなことである。

その他の支援の可能性としては、友好橋を架ければよさそうだが、これも観光への影響がありそうだ。
子供が沢山いるので、よくあるように、奨学金なども含めた修学支援などもあろう。
パパイヤを植えれば良さそうだったが、他にもいろいろ野菜などの作物を植えればいいので、経験者が、しばらく現地に住んで、一緒に農業をすれば 役に立ちそうである。


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