フィリピン・パラワン特集

第三部 プエルト・プリンセサ

2008年 11月作成



第一部でも書いたように、セブ・パシフィック航空(5J)の国内線片道999ペソすべて込みのバーゲン・セールがあり(今は、広告のうたい文句では888ペソと言っている)、さらに セブとプエルト・プリンセサ(PPS)の間のフライトが復活したのがパラワン行きのきっかけである。時系列で言えば、プエルト・プリンセサが第一部になるはずだが、ここは、観光地でもないし、宿代も割高に感じるので、後回しにした。
そうは言ったが、町は緑も多く、南国のいい雰囲気が漂っている。個人的な好みかもしれないが、ベトナム難民起源のベトナム料理大衆食堂が多いのが良い。「そんなにベトナム料理を食べないならベトナムへ行け」と言われれば、その通りだが、プエルト・プリンセサに行ったら、ベトナム料理三昧と言いたい。ただし、私の場合は、単に、麺類のトッピングが、牛肉、豚肉、鶏肉と替わるだけだ。しかし、こしとムチムチ感のある独特な麺は毎日食べたくなる味だ。フランスパンのレベルも高く、安もんの麺にフランスパンという取り合わせが、ここプエルト・プリンセサの大衆ベトナム料理の真髄と言えそうだ。馬鹿にしているように読めるかもしえないが、そうではなくて、わずか100円足らずで十分満足できるのが良い。

プエルト・プリンセサ空港(PPS)

パラワンの玄関口で、建物は綺麗になりつつあるが、まだ工事は続いていた。町に近く便利な空港である。空港にたむろするトライシクルのドライバーによれば、町まで20ペソとのことだった。空港の外側に道があるので、そこから乗れば、10ペソ足らず。

プエルト・プリンセサ空港

ターミナルの外側

空港の前の道路
空港は町の中心から近いが、
歩くのは ちょっと大変だ。

町の様子

町に着くや、雨が降り出したが、そのまんま写真を撮ったら、その時の気分をよく現すような写真が撮れた。この後も数日ほとんど雨で、その後は晴れが続いたが、やはり旅に雨より晴れが良い。雨の日は、部屋でパソコンを叩くか、デパートにでも行くか、そんなところだろう。

メイン通りのRizal Avenue
中国、台湾の中山路のようなものだ。
この道が町の中央に長く
走っているので分かりやすい。

緑が多いという写真のつもりだったが
天気が悪く、暗くなって 気分も暗い。

プエルト・プリンセサ型のトライシクル。
町ごとにトライシクルの形も異なり、
画像に残しておきたくなる。

陸運局(Land Transportation office)

フィリピンに住んでいる人ならお世話になることが多い。 外で腰掛けて人が沢山待ってるのは お馴染みの光景だ。

CIRCON Hotel

今回泊まったところ。町の中心部にあり便利。うるさいのが気になる人もあろう。2階のバルコニーは悪くない。


帰りも、プエルト・プリンセサからのフライトなので戻ってきたが、天気が回復して、写真も以下の通り明るい。

綺麗な建物の教会

ホセ・リサールの像がない
町を見つけるのは難しい。

海沿いにある整備された公園。
市民の憩いの場になっている。

ベトナム難民キャンプ Viet Ville

フィリピンでも多くのベトナム難民を受け入れた。その歴史的な難民キャンプが、プエルト・プリンセサの町外れに残されている。家は沢山あるが、今も住んでいるベトナム人は数家族だけだそうだ。米国へ移住した人がほとんどだそうだ。

Viet Ville

Viet Ville内にあるベトナム料理店

ベトナム麺の大衆食堂

ベトナムのラーメン屋ではないがNoodle shopに足しげく通った。場所は泊まったホテルのすぐ近く。牛肉麺、豚肉麺 35ペソ、スペシャルは プラス5ペソでゆで卵半分。 フランスパン8ペソ。その他 サンドイッチもあったが、やはり、麺とフランスパンの組み合わせだろう。パリで、パン屋で売っているフランスパンを買って帰って食べても冷たいが、ここは、それよりはるかに安い値段で、暖かくて美味しいフランスパンが食べられる。

PHAM CHAOLONG HAUS

パラワン博物館

泊まったホテルの前にあったこともあり、試しに入ってみた。スミソニアンとは比べるべくもないが、現地のことを知る助けにはなる。

パラワン博物館

中国の難破した船からの陶器


少数民族の生活や、中国の難破船から見つかった物品などが展示されている。「山下財宝はどこにある?] と、どこへ行っても多くのフィリピン人から聞かれる。私は、「そんなものは無いが、海の中の中国の難破船には、沢山の財宝が眠っている。」と答えている。China in ship from China, made in Chanaである。故旧博物院にあるような皇帝のお宝は無くても、古くてそれなりに値打ちはあるはずだ。

昔の文字を展示してあり興味を持った。

タガログ語の文字はアバカダと言っているが、今ではアルファベット表記である。しかし、以前米国のスミソニアンで、アルファベットを使う前のフィリピンの昔の文字を展示しているのを見たことがある。パラワン博物館では、さらにパラワンの昔の文字まで展示してあった。これだと、さらにフィリピンの他の地域でもいろいろ文字があったのだろうと推察されるが、よくわからないので、インターネットで検索してみた。

今どき 行き着くところは、ほとんどWikipediaになってしまうが、それによると、
Tagbanuaは、パラワンの中、北部に住む少数民族で、現在は人口が1万人ほど。
Tagbanuwaという上の左の写真の文字を、17世紀頃まで使っていたとのことである。文字の親子関係を、
馬の血統のように戻っていくと、親は8世紀から15世紀頃までジャワ島で使われていたKawiという表記法になるそうだ。そして、その前の代では、インドへもどり、4代さかのぼるとアラム文字、5代前がフェニキア文字になるそうだ。
Tagbanuwaには、Baybayinとか、ミンドロ島に住む少数民族が使うHanuno'oなど、フィリピン内にも兄弟姉妹が居て、さらに、ジャワニーズ(Javanese)、バリニーズ(Balinese)を含め、インドネシアの島々にも他の兄弟姉妹が居るそうだ。人の移動や言葉の伝播の様子を容易に思い浮かべることができる。

Palaw'anもパラワンの少数民族だが、文字の関する情報は検索できなかった。似ているのでTagbanuwaと兄弟姉妹なのだろう。

San Jose Terminal & New Market

バスとバン

手持ちのかなり古いガイドブックを持って行ったところ、それによれば、バスは町中の市場の近くから乗れるはずだったので、その近くのホテルに泊まった。しかし、最近は、町の北へジプニーで20分ほどのところにできた新しいターミナルに 長距離バスやバンが発着する。先日のイロイロでもそうだったが、いつものように失敗を繰り返している。それでも、町中の様子を見るのには、泊まったホテルは都合がいい場所にあるので、ホテルについては良しとした。バスの方は、失敗を繰り返さないよう、乗る前日から、確認のため、新しいバスターミナルへ様子を見に行った。

エルニド行きのバス

パラワンの各地へ向かうバン

すると案の定、目的地にしているPort Bartonへ行くバスは、ここ1ヶ月以上運行されていないことが分かった。そこで、バンで途中の交差点まで行き、そこからジプニーに乗ることにした。

San Joseの新市場

バスターミナルは新しくできた市場の横にあるので、ついでに市場の様子も見て歩いた。魚は例えば、大き目のアジが90ペソ。シキホールの市場では、最近は120ペソであり、こちらの方が安い。ただし、最近のシキホールでも、漁師から直接買えば80ペソ程度であり、中間マージンに怪しいものを感じる。
米は26ペソから。シキホールでは40ペソ近くだったが、10月から値下がり傾向にある。

自給自足で米が安めのパラワン

郊外にできた市場なので、面積が広いのを利用して、植物が沢山売られている。私などは、近所のフィリピン人と同じように植物はあける、もらうが基本で 買うものではないと思っているが、それは人それぞれだろう。一番に沢山並んでいれば、好きなものを選べるので便利だ。

有機農法の産品を売る店

*** Gardenといろいろな名前のGardenが並び、庭を見せるのかと思ったが、植木の苗を売る店であった。
こちらも植木の苗を並べて売っている。建物はあばら家風だが、植物が沢山あって植物園の様で雰囲気がよい。


特集のページへ戻る