シンガポールから近いマレー鉄道沿線の町 クルアン

 2012年4月作成   



1928年にできた駅前旅館 華商旅店
今は営業していないが、味わいのある建物だ。

ティオマン島に行ったついでに、シンガポールから日帰りでも行けるマレーシアの町クルアンを訪ねてみた。この町には、二十世紀前半の建物も多く、ノスタルジックと呼ばれるに相応しい町並みが多く見られる。

駅と周辺をクルクル

インターネットで検索したら、シンガポールから鉄道を利用してクルアンを日帰り旅行する記事が見つかった。

シンガポールからマレー鉄道で行って来るあん

お供の犬も 行って来るワン

この町の名前を記憶に留めるため、そんなことを考えながら、駅に行って、その周りもクルクル回ってみた。

クルアン駅の駅舎

ホームの様子

時刻表が貼ってあったのでそれを見ると、毎日上下各7本だけ。これでは通勤通学に使うのは難しくて観光用ということであろう。南下する方の行き先はSingaporeではなくて、Woodlandsとなっていた。昨年から駅がWoodlandsに移ったそうだ。ジョホールバルからシンガポールに入ってすぐのところである。

駅の近くに冒頭のホテル跡の建物があり、1928年と書いてある。この町の建物には建てられた年が書いてあり、これが町の移り変わりを知る手がかりとして大いに役立つ。Wikipediaによれば、1915年にマレー鉄道の駅ができたことが、この町の歴史の始まりで、駅の周辺をしばらく歩けば、駅が中心になって町が拡大していった様子が容易にわかる。

1928年

1929年

1939年の年代と屋根の飾り

1934年長屋

町をクルクル

さらに範囲を広げて歩き回ると、現在まで含めての地域ごとの栄枯盛衰が見られ、非常に興味深い。建てて10年程度でゴーストタウンのようになってしまった商業施設もあれば、それの息の根を止めるかのように、別の場所で新たに商業施設を建てているところもある。

歴史を感じるホテルで、参考のため値段を聞きに中に入ったら、営業していなないと言われた。怪しい雰囲気で、値段の対象が違ったようだ。

1956年の年代と宿の名前が書かれているが、冒頭の1928年ものと同じく、営業している気配はない。

ゴーストタウンと化した商業施設

別の場所に新たにモールができたのか?とにかく負けてしまったということだろう。

町の中心の新しそうな建物

PARKSON 百盛もある

買い物に便利

建設中の商業施設
方やゴーストタウン化した商業施設があり、方や新たに建てている。考えさせられる光景である。

ホテルを探してクルクル回る

あらかじめGoogle mapでホテルを探し、さらに名前から安宿と思しき宿に目星をつけておいたつもりであった。到着したバスターミナルは、町の中心部に隣接していて、そこからホテルがあるはずの方向に、トボトボと歩いて行った。確かにホテルはいくつか見つかったが、小奇麗な安宿で、Wi-Fiありという条件を満たすものが見つからず、町の中心をクルクル回った挙句、最後は適当に決めてしまった。東商冷気大旅店というところで、建物の外壁がくすんでいて、外見はいまいちだったが、部屋は広く、まずまずの安宿であった。ただし、Wi-Fiがなくて、Macに行く羽目になった。後からさらに調べたところ、白宮大旅店というところにWi-Fiの印が出ていた。英語ではWhite house hotelで名前は安宿っぽくないが、見た目では安宿の範疇に入る宿だった。他にもそこそこのレベルのホテルがいくつもあり、私の評価基準ではそれらは安宿とは呼ばないが、そちらに泊まれば当然Wi-Fiに対応しているはずだ。

クルアン・バスターミナル

東商冷気大旅店 Hotel Tongsiang
AC Rm43 Fan Rm26

White House Hotel 白宮大旅店 Wi-Fi

クルアンで食べる

カレーそば

日本では通常はカレーうどんだろう。

閉店間際のタイムサービスを見つけて飛びついた。パック一杯何でも定額なので、普通は肉を取っている人が多い。この町に泊まっている間は、夕食は毎晩ここになりそうなコストパフォーマンスだ。町の中心から、バスターミナルに行く途中にある。

ABC
名前に惹かれて試しに食べてみた。かき氷にアイスクリームをのせたもの。カキ氷として完成されているが、赤色何号かが毒々しいのが課題。赤抜きにしてもらいたい。


町の変遷の考察

町の変遷について さらにまとめてみた。興味のある人向けの内容で趣味のコーナーと言えそうだ。

建物に建てられた年が書かれているのが大きいが、この町でのお勧めは、建物を見ながら町の変遷を思い巡らすことである。そんなことは、役場に行って調べてきた方が良いという人もいるかもしれないし、町の博物館ができれば、年代ごとの町の市街地のモデルが展示されそうな話ではある。

鉄道が通り駅前にホテルや商店などができて賑わうが、その後、駅前が手狭になり、少し離れた場所が開発されて繁華街もそちらに移る。これは、この町に限らず一般的によくある町の歴史であろう。もちろん鉄道が走っていなければ、これは該当しない。駅前の賑わいが続くかどうかは、鉄道の利用状況次第であろう。日本では鉄道網が発達していて、特に通勤通学で鉄道が広く利用されている。これに対して、マレーシアでは現状では公共交通はもっぱらバスである。特に長距離バス網が広く発達していて、安くて便利である。鉄道とバスの戦いの結果を受けて、駅前も寂れてしまっているのは、当然の結果であろう。

それでは、バスターミナルの周辺が賑わっているかというと、そうとも言えない。バスターミナルは、繁華街から数百mのところにはあるが、バスターミナルを中心にして町が発達したのではないことは 容易に分かる。最初はバスは街中の便利なところに着いていたが、バスが増えて手狭になり、町外れに大きなバスターミナルを建てたということであろう。

街中で目に付くのは、自家用車の多さで、駐車できる場所を求めて、車がクルクル回っている様子も見かける。マレーシアは既に自家用車が普及していて、マレーシアを旅行していてタクシーにも乗らず、トボトボ道を歩いていたりすると、貧乏くさそうで、プレッシャーがかかりそうではあるが、そんなことを気にしていては安旅はできないとも言える。

車が増えて、巨大駐車場付きの郊外の大きなモールが出来て、その周りがさらに発展して、町の繁華街はそちらに移ってしまうのか。それとも、現在のダウンタウンと言える場所はそれなりの賑わいを続けるのか。10年か20年先に再訪して、どうなったか結果を見に来れたら楽しそうだ。





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