2009年10月作成
2018年4月最終更新
ホイアンの町の様子 ベトナム中部のホイアン(Hoi An、会安)は、日本人町のあったところで、古い町並みが残り、世界遺産に登録され、ベトナム有数の観光地となっている。米国人の団体が多く、米国のハイスクールの修学旅行の団体まで見かけた。
少し前にUAがベトナム戦争後、米国の航空会社として始めてサイゴンへのフライトを登場させたという話があったが、そんなに需要があるのか私には疑問だった。しかし、ホイアンやフエの米国人団体を見て納得した。NWのサイゴン便も登場しているが、そちらは経由地の成田からは乗れないという話を聞く。その理由の一つとして、米国からの客を乗せるのが目的だということが伺える。
古い民家のほとんどが商店、レストランに改造されているのは、中国や米国の同じような古い町並みの残る観光地と同様である。ただ、特に中国の大理などに見られるようなケバケバし過ぎた装飾までには至っていなくて、その点 好感が持てる。それでも、過度と言えるくらい商業化が進んでいることについては、特に日本人には賛否が分かれるはずだ。
旧市街
写真を見てもらえば、十分雰囲気は伝わるはずである。
今回の写真では分からないが、ここは、横を流れるトゥボン川が頻繁に氾濫して洪水を起こすことで知られている。公開されている民家の一つでは、柱に年代と水の来た高さが刻まれていた。私が訪問した約2週間前と、1週間ほど後にそれぞれ 洪水があった。昔から洪水が起こるのは、よく分かっているので、水が流れる方向に、隣家と接して、ミミズのように細長く家がつながって建てられ、洪水でも家は流されないようにできているそうだ。
私が行った時は、写真でも分かるように晴れていて、とても暑く、洪水を想像するのは難しかった。
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日本人が造ったと言われている。 |
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ホイアンで食べる
ホイアンに一泊しただけだが、結構いろいろ食べた。午前中に到着して、次の日の夜行のバスに乗ったので、そこそこ長い間居たからとも言えるし、ホイアンの三大名物のように、一食分としては、少ないものもあったからだ。
味は、ベトナム料理で、どれも文句を付けたくなるものはない。
旧市街を散策しているとすぐに
見つかる屋台村ホイアンの三大名物
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ぶっかけうどんというところか。 |
見た目を重視している。量は多くなく、 ビールの当てに良い。 |
餃子よりかなり小さめで、ワンタンスープに入れる具と同じものだ。 |
その他
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慣れてくると これで十分と思えてくる。 |
ホテル街
ここでも、シンカフェの周辺に沢山の宿が集まっている。旧市街にも少し宿はあるが、3階建て以上のホテルを、旧市街に建てるのは、景観を損ない当然許可されそうにないので、ホテルが出来たとしても限られる。
またビーチが近く、高級ホテルは、ビーチ沿いに建っている。
しかし、安くて、十分快適なホテルが沢山ある中で、ベトナムで高級リゾートを作る必要性がどれだけあるのかと思うのは、私だけではないだろう。
(2011年5月更新分)
その次にホイアンに行った時の写真をいくつか追加で紹介しておく。当然、古い町並み自体は変わらない。
通りの様子 チワワが多いホイアン 日没近く 川の様子 対岸の様子
こちらもいい雰囲気(2013年10月追加分)
ホイアンの夜景
ホイアンの夜景はすばらしいと思うので、それを紹介すべく、下手な写真でも載せておきたい。これでも雰囲気は伝わるはずだ。暑い時期にホイアンに観光に来た場合には、日中は暑いので、町歩きをさっさと切り上げ、夜涼しくなってから、再度ゆっくり見て回るのも賢いやり方だろう。。
ホイアンとその周辺を自転車で回る
この町では、オートバイもそんなにスピードを出していないことが多いし、やたらとレンタサイクルが多く、グループでサイクリングコースを回っているのもよく見かける。古い町並みの中心部分を歩いて見て回るだけでなく、自転車で範囲を広げて、回れば、また違うホイアンの姿が見えてくる。どうでも良いことかもしれないが、ホイアンに住み着いた外国人も結構見かける。
旧市街を流れるのはそれほど大きくない川だが、対岸の島の さらに反対側まで行けば、大河が流れている。 大河が増水した時に、河岸を削った後跡。ここからも、ホイアンが洪水の町であることが分かる。 魚の水揚げ場所。
街中の塀の川下側は、洪水で倒れないように、かなり補強してある。 大河の中に、細長い島がいくつもあり、その一つに行ってみたところ、住宅街だった。 自転車で街中をウロウロしていたら、プリンを売っていた。氷をのせるのが、ベトナム流?二つで1万ドン。 ダナンから市バスで行く
ダナンとホイアンの間は、1番の黄色い市バスで移動できる。ダナン側では、空港は通らないが、町の中心部である大聖堂やハン市場、それに鉄道駅の近くなどを通るので利用しやすい。ホイアンでは、町の中心部からは少し離れるが、10分も歩けば安宿が並ぶあたりに着く。
料金は、行きも帰りも2万ドン請求された。大体この値段だろう。帰りに1万5千ドン出したら、2万ドンだと言われた。Googleで検索したら、外国人は5万ドンくらい請求されることもあると書かれていたりするので、5万ドン札で支払うのは避けたい。
How much?と英語で聞くのも ぼられるもとだろう。2万ドン札等で支払いたいものだ。
ホイアンのバスターミナルに停まる1番のバス バスターミナルから町の中心部へ向かう道路 観光客が増え、特に韓国人は急増
オープン・ツアー・バスでベトナムを縦断すると、毎回ホイアンの町に泊まるか散策することになり、そのルートで、これまでかなりの回数ホイアンの町を見てきた。町を歩く観光客の数は、時間帯や季節によっても変動するが、特に最近観光客が増えているのを感じる。余りに観光客が多過ぎるのはイマイチだが、お花見や海水浴で人が少ないのもどうかと思うし、ホイアンの観光客の中でも、ホイアンの人気ぶりをどうとらえるか、人によって分かれそうだ。宿が空いていないようなら、問答無用にダメだが、ダナンにできた高級ビーチリゾートに泊っている観光客が多そうで、ホイアンの安宿で、混んでいる様子はない。個人的な意見としては、以前同様 お薦めな町だ。
混み具合について 特に感じるのは 韓国人の増加で、Googleでソウル・ダナン間のフライトを検索すると1日18便飛んでいる。半年ほど前に検索した時には、まだ12、3便程度だったし、もっと前だと、あまり見かけなかった。これに対して、日本からは、成田からベトナム航空、関空からJetstarが、週に4〜5便飛んでいる程度で桁が違う。
観光客が多くなり、特に以前はほとんど見かけなかった韓国人が急増している。 (2011年7月)
ミーソン遺跡
ホイアンから車で1時間余りのところにあるミーソン遺跡に行ってきたので紹介する。
ミーソンはベトナム語ではMY SONと書き、美しい山の意味。俺んちの息子ではない。美は中国語の発音ではmei、日本語でmiの発音もあり、 ベトナム語のMY(ミー)もそれぞれ類似の発音である。山は中国語でshan、日本語はsan、ベトナム語のSONも近い。結局、ミーソンは美山で、日本語だとビザンだろうが、ミサンと読めばかなりミーソンに近い。
ここは チャンパ王国の遺跡で、ヒンズー教の寺院が並んでいる。ガイドの説明によると、チャンパ王国を興したチャム族はジャワ島からやって来たそうで、王国が滅んでからは、少数民族としてベトナムの中南部に点在して住んでいるとのことである。
ミーソン遺跡は世界遺産に登録されているが、残念ながらかなり朽ち果てている。これは、ベトナム戦争で空爆されたからである。それでも、残された見所も多く、遺跡好きには近くまで来たら必見と言えよう。
遺跡の様子
遺跡の様子
はるか昔に建てたにもかかわらず、レンガはぴったりとくっついている。どのように付けたのか 今も謎とのこと。 サンスクリット語だそうだ。
いろいろな模様があって楽しめる。
男性のシンボル 手前はシバ神の像 名物ガイドの説明よると、シバ神は男性半分、女性半分。バンコクではなくて、インドから来たLady boyだ。いやジョークだ、とのこと。
B52の空爆で大破
ミーソン遺跡はB52の空爆でかなり破壊されている。コミュニストの基地になっているとの誤報で、空爆したそうだ。
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この裏側には、爆弾がいくつも落ちて できた大きな穴がある。 |
頭はルーブルへ
ガイドの説明によると、顔・頭はフランス人が持って行って、今はルーブルに展示されているそうだ。
首の無い像
横は、ちょっとひょうきんな名物ガイド首が持ち去られ、
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