ボランティア・レポート



2009年3月最終更新


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2009年3月更新分

(NW)ミネアポリス 2009年2月(見送り)

2月、2回目の米国行きの途中で TPA/MSP/SFOと飛んだが、そのうちMSP/SFOがオーバーブッキングしていた。金曜日の午後で、混みやすい状況ではあった。まずは 予約時に、金曜日なのでそこそこ混んでいたのは把握していた。TPAが午前10時台発で、乗り継ぎのMSP発が午後2時頃、SFO到着が午後4時台というのが理想的なので それにしたかったが、MSP/SFO間が混んでいて予約は入りそうになかった。 そこで、MSP発を一本遅らせてなんとか予約を受け入れてもらった。前の便が混んでいるというのは、何か起こる予兆と言えそうだが、特にそれを狙った分けではない。早朝出発、深夜到着を避けて、できるだけ便利な便を利用したいと思っただけだ。

それほど混んでいるはずではなかったが、搭乗開始の少し前になり、ボランティアを2名募集というアナウンスが流れた。すぐに、応じられる体勢ではあったが、アナウンスを聞いていると、次の便に振り替えだと言い出した。それだとSFO到着は深夜になってしまう。深夜にサンフランシスコのダウンタウンをウロウロして、宿を探すは避けたいので 思い留まった。

搭乗口では、アナウンスが終了するや、2人が駆けつけて即決着した。

搭乗後、出発の5分ほど前になると、5、6人の乗客が まとめて乗り込んできた。乗り遅れが出て、スタンバイの乗客にも席が回ったようであった。通常なら、このような場合には、ボランティアは不要になるが、この時は、ボランティアに応じた2人の顔は無かったように思う。せっかくボランティアになってくれたので、その気持ちを大切にしてくれたというのが、私の見立てだが、顔の見間違いの可能性もあり得る。また、最後に乗り込んできた乗客は、スタンバイではなく、到着が遅れたフライトからの乗客だったという可能性もなくはない。そう判断しなかったのは、その場合、息を切らせて乗り込んでくるはずだが、そうではなかったからである。遅れ到着便のゲートから こちらのゲートに まとめてカートで移動してきたという、別の可能性もあり得るが、そう判断しなかったのは、そんな気の利いたサービスは今まで経験したことがないからである。

補償は、前回同様、300ドルのバウチャーだった。


2009年2月更新分

(NW)ミネアポリス 2009年2月(失敗編)

NGO/NRT/PDX/MSP/MCOという経路でのオーランド行きの途中、MSPからのフライトがオーバーブッキング。MSPで90分ほど乗り継ぎ時間があり、少しラウンジに入った後、ゲートへと向かったら、2回目と思われるボランティア募集のアナウンスがあり、すぐに 数名ボランティア希望者があった。私はゲートに着いたところで、フットワークが悪く、出遅れてしまい、その回は応募を諦めた。しばらく待っていると、再度 ボランティア募集のアナウンスがあった。今度はすぐに反応して、リストに載せてもらった。
搭乗が始まってから しばらくすると、アナウンスで私の名前が呼ばれ、間に合っているので、搭乗するように指示された。 万事休すで搭乗した。

敗因は、これまでにもあるように、直前に混み具合を確認していなかったことが挙げられる。混んでいるのを予め認識していれば、早めにゲートに向かった。最後から2回目までのボランティア募集にすぐに対応していれば、問題なかったはずだ。条件は300ドルのバウチャーで、出発が翌日ならホテルが用意されるというものだった。

以前に比べれば、ボランティア募集に出くわすのは、かなり減っている。理由は、搭乗回数の減少もあるが、空いているフライトを選んで、予約を入れているからである。以前はQクラス程度だったものが、さらに格落ちしているという事情もあるし、とにかく 特に狙ってはいないからである。格下のクラスでも 早めに予約を入れたり、プッシュしてもらったり、狙って予約を入れれば結果も付いて来ようが、そこまでする気はないので、現状のような実績になっている。露骨に狙うと、当然 航空会社からも嫌われるだろう。 空いているフライトを選んで予約を入れても、何かの事情で、オーバーブッキングに至った時に、すすんでボランティアに応募すれば、航空会社からも喜ばれることだろう。


2009年1月更新分

(NW)マニラ 2009年1月(未遂編)

年明け 日本に戻るため、NWのMNL/NGO便を利用したが、ゲートでボランティアの募集のアナウンスがあった。いざ鎌倉と、アナウンスが終わる前から、ゲートに駆けつけ、リストの一番上に載せてもらったが、あとから 日本人の乗客は乗ってもらえという指示が来て、定刻の15分前に飛行機に乗り込む羽目になり、ボランティア作戦は失敗に終わった。

詳しく説明すると、年明けに日本に戻りたかったのだが、1月3日にマニラ近郊で知り合いの結婚式があり、それに出席した後、日本に戻るという計画を立てた。ところが、今回も特典旅行で、正月休み明けのピークでは予約が入らず、その数日後に何とか席が確保できた。既に日本人はほどんど見かけなかったが、米国に出稼ぎに行っているフィリピン人で、クリスマス休暇に凱旋一時帰国した人たちのUターンラッシュは続いていて混み合っていた。ラウンジで、名物の朝粥などを食べた後、念のため早めにゲートに進んで待っていたら、定刻の1時間前になり、案の定、ボランティア募集の案内があった。そこで、いの一番で応募した次第だが、残念ながら未遂に終わってしまった。オーバーブッキングは30人以上で、リストの1番なので当選確実かと思ったが、そうはいかなかった。

敗因を分析すると こうなる。MNL/NGOでその先がないなら、なんら問題なかったはずだが、米国の航空会社であり、NGOの先は、DTWへと向かう。MNL/NGOの日本人乗客は10人居るか程度の状態だったが、 NGO/DTWの区間は、さすがに日本人乗客が、かなり増えるはずだ。そうでなければ、NGOに立ち寄る意味が無くなってしまう。そして、MNL/NGOだけ利用する外国人は、日本人同様少ない。これは、タレントと呼ばれる若いフィリピン女性を、最近ほどんど見かけなくなったのが大きく影響している。以上から、NGO/DTWの方がさらに混んでいるのは間違いない。マニラで、二区間分、いっぺんに、ボランティアになってもらった方が良いので、NGOまでしか行かない人は、お呼びでないということだ。それなら、最初から、米国行きの乗客だけを対象にしてボランティアを募集せよと言いたくもなるが、そこがフィリピンということだろう。普通なら、ボランティアの応募が少ない場合に、NGO行きの乗客にも降りてもらうという考え方もできそうだが、ここでは、それは無かろう。以前もLAXで経験したが、空港でボランティアになろうとひしめき合っているフィリピン人コミュニティの中では、ボランティアの応募が足りないというような事態は想像できない。

これが、数日前であれば、年末年始にフィリピンに出かけた日本人乗客が沢山居て、日本人も容易にボランティアに選ばれたことだろうが、今回は搭乗日が悪かった。

仕方なかったということだが、もうひとつの反省点もある。MNL/NGOでは、その後別の便に乗り継ぐ選択肢がほとんどなくて、たいていはDTWへ行くだけだ。これに対して、もうひとつのNW便であるMNL/NRTの方は、NRTがハブなので、いろいろな方面に別れて乗客は乗り継ぐ。米国行きの乗客をとにかくNRTまで運べば、いろいろな経路で目的地まで到達させることが可能である。MNL/NGOが定刻前に何十人もオーバーブッキングしている状況では、MNL/NRTも当然オーバーブッキングということになろう。NRTから先はいろいろな経路があるので、振り替えも容易で、結局この状況でのボトル・ネックはMNL/NRTの区間ということになろう。MNL/NRT便を予約しておけば、日本人もボランティアになれた可能性が高い。
しかし、今回は、行き先がNGOだった。乗り継ぎ便でNGOまで行くようなフライトを予約するのは、普通はしないだろう。

これと同じような状況が他でも起こるかどうかは不明だが、とにかく、いろいろな場合について考察しておくのは悪くはあるまい。

ゲートでの反射神経という面では、かなりのレベルに達していると自負している。

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2004年2月更新分

(NW)マニラ 2004年1月(失敗編)

1月末に、フィリピンから帰ってくる時に、オーバーブッキングでボランティア募集の案内が出ていた。ところが、その案内は、エコノミークラスのチェックインの列の近くに置かれた白板に大きく書かれていたのだが、ビジネスクラスの方には、何も書かれていなかった。そのため、知らずに そのまま ボランティアに応じずチェックインした。チェックイン後、案内に気づき、再度戻ってボランティアリストに入れてもらおうとしたのだが、搭乗口で手続きするように係員から言われた。
搭乗口に行くと、沢山名前が載ったスタンバイリストは置いてあったが、ボランティアを募集しているような雰囲気ではなかったので、そのまま搭乗した。

この時は、結果的にはボランティアは不要だったのかもしれないが、ここで取りあげた理由は、どこにボランティア募集の案内が出るかとか、どこで応募するのかといったことを知っていることが 非常に大切だからだ。
2003年5月の名古屋の時では、ボランティア・リストの最初の二人だけが、ボランティアになり、その後でリストに載せてもらった人は乗れてしまった。ほんの数分の違いであった。早いもの勝ちなので、早く案内を見て、さっさとボランティアに応じるに限る。

これまでの例では、UAの関空の場合だと、チェックイン・カウンターの電光掲示板に案内が出るとか、NWのLAXの場合だと、チェックインカウンターと、搭乗ゲートに、レターサイズの紙に書かれている。といったことだ。

ちなみに、この時は、MNL/NGO, MNL/NRTの両方ともオーバーブッキングだと言う案内が出ていて、それぞれ バウチャーは600ドルとのことだった。白板の文字の金額の部分だけ、以前に何度も書き換えた痕跡があった。

(UA)シカゴ 2003年11月(見送り)

Thanksgivingの連休の2日後、火曜日に、シカゴ経由でサンフランシスコに飛んだ時のこと。シカゴに到着して、例によって前倒しで、サンフランシスコに飛んでやろうと思い、1本、2本前の便のゲートの様子を伺いに行くと、いずれもオーバーブッキングで、ボランティアを募集していた。これでは前倒しは無理であり、諦めて、既に搭乗券を持っている予約どおりのフライトのゲートへと向かった。途中、ロサンゼルス行きのゲートの様子を見ても、同様にオーバーブッキングしていた。そのため、私の乗るフライトもオーバーブッキングしているに違いないと予想していたところ、案の定、ゲートにその案内が出ていた。
ただ、その補償が米国内の無料航空券だったので、既に、大量のマイルを貯めている私の場合、ほとんど意味がないので、応募しなかった。

この例のThanksgivingの連休の2日後のように、毎年、混んでいてオーバー・ブッキングしやすい日がある。この例だと、さらに前日、前々日の月曜日、日曜日。そして、Thanksgivingの直前は、もっと大変な状況になっていることだろう。
日本でも、三大ピーク時に旅行すると、同じようなことになる。
ただ、日本の三大ピークは航空券代が高い。ボランティアになりたい人は、外国の混む時期を狙って飛ぶのがお得ということになるのかもしれないが、そういうことをする人は、航空会社から嫌われるはずだ。
怪しい内容になってくるので、ここでは何もお薦めしないが、空港で長蛇の列が出来て 乗り遅れたりする可能性もあるので、混みあう時期を把握しておくことは大切だ。

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2003年6月更新分

(NW)名古屋2003年5月

9.11以来、航空需要が落ち込み、オーバーブッキングやボランティアの機会が減ったが、久々にボランティアになって、バウチャー(750ドル分)をもらうことができた。

5月の下旬にフィリピンに戻る時の出来事。最近はNWのKIX/MNLが無くなり、代替の経路としてNGO/MNL間を利用している。今回のオーバーブッキングは、関西から鈍行電車とバスを乗り継いで出掛けて行った この名古屋空港で起こった。

名古屋からマニラに飛ぶと言っても、ほどんどの乗客は、米国全土からデトロイト・名古屋経由で、マニラに向かうフィリピン人だ。名古屋からの乗客は多くなくて、その結果、名古屋空港のチェックインカウンターは通常 閑散としている。この日もその状況は変わらなかった。しかし、この日は、さらに、横でチェックインしようとしていたフィリピン人が、なぜか 荷物にスタンバイのタグを貼られていた。

このあたりに予兆はあったのだが、それは気にも止めず、ラウンジに陣取り くつろいでいた。すると、出発時間の1時間ほど前になり、突然ボランティア募集のアナウンスが始まった。最初の英語のアナウンスでNorthwest Airlineという言葉が聞こえるや、これはボランティア募集に違いないと直感し、さっさと片付けに入り、ラウンジを出て、指定の場所へと向かったのだが、出遅れの感は否めなかった。アナウンスが始まってから2分ほど経って、現場へ駆けつけたところ、既に結構 人が集まっていた。そこでは、NWの職員一人と、NWの業務を代行しているJALの職員でマネージャーと呼ばれている人物の あわせて二人がボランティアの処理を仕切っていた。

結局、私は、米国人夫とフィリピン人妻、そして 二人の子供の4人家族の後で、6番目にボランティアリストに載せてもらった。それでも、職員が言うには、あふれているのは11人で、今日はこれでボランティアが確定とのことであった。

そのまま、搭乗が終わるのを待っていると、職員が言ったとおり、ボランティアが確定。 業務代行のJALの女性職員に引率されて、入国審査場に行き、出国の取り消しをしてもらった。ただし、前もって 航空会社側から出入国管理の担当者へ連絡していなかったので、夜の便ということもあり、既に大方の職員は帰った後。航空会社側は、予め連絡しなかったことを叱られていた。

出国の取り消しが済み、荷物を受け取った。荷物は全員一旦手元に戻るはずであったが、数名の荷物は、そのまま1日早くマニラに行ってしまった。
その後、航空会社が手配したホテルへと向かい、振替になった次の日の同便を待った。


さて、次の日。

こういう場合に よくあるパターンだが、翌日も同様にオーバーブッキングしていた。今度は、早めに、所定の場所で待機するつもりではあったが、トイレに行っていたその帰りにアナウンスが始まり、30秒ほど遅れてしまった。すると、最初に2人、そして4人組、結局私は その後で、7番目になってしまった。
そして今度は、最初の二人だけが ボランティアになり、それ以外は、幸か不幸か乗れてしまったので、私も、前日の1日だけボランティアして飛び立った。
フライトのスケジュールによるのか、この日の振替便は、その次の日の午前のJAL便。これに乗れば、乗り継ぎのためマニラで1泊することもなくなり、とても お得なはずであった。

ボランティアを募る場所は、通常ならチェックインカウンターか搭乗ゲートだが、今回は二日とも、搭乗ゲートの隣で、番号が一つ若い、しかも、使われていないゲートであった。搭乗ゲートは混みあっているので、別の場所が良く、集まる場所の選び方は、同じことが多そうだ。 ピンと来るものがあれば、最初から、この場所で待機しておくのが良いだろう。

NWの職員とJALのマネージャーの動きにも注目しておいた方が良い。オーバーブッキングの場合、時間が来ると 彼らはボランティアリストの紙切れを持って 慌しく動き出す。


今回も、特典旅行であるが、これまでと同様、問題なくボランティアになれた。もらった750ドルのバウチャーで、メキシコに行き、マイルを貯めて、さらにフィリピン行きの無料航空券2枚をゲットする予定だ。

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2003年2月更新分

(NW)デトロイト2002年12月(油断大敵、失敗編)

ボランティアのチャンスを逃した失敗談と再発防止策を紹介する。

デトロイト発マイアミ行きNW便で、絶好のボランティアのチャンスを逃した。

この時は、昼間のマイアミ便がなく、関空からの乗り継ぎ時間がやたらと長くなった。そこで、デトロイト空港のワールドクラブで、ひたすらパソコンをたたいて待っていた。ラウンジに長居し、ゲートに着いたのが、出発の50分ほど前。それでも、まだ時間はあるかと、今度はファーストフードを買いに出掛けた。そして、戻ってきた時には既に勝負はついていた。 

席に座って待っている人々が、以前もボランティアして、どれだけバウチャをもらったとか、いろいろ話していた。搭乗が始まると、係員にどうしたらいいのか聞きに行く人がいて、「後で呼ぶから、そのまま待つように」 と指示されていた。いずれにせよ、ボランティア募集のアナウンスは、ずっと前に終わっていた。
ファーストフードで油を売っていたのが失敗のもとで、とにかく、後の祭りであった。

キャンセル待ちでスタンバイする場合なら、マイレージのエリート会員は、後から来ても、プライオリティを上げてもらえるが、乗らない方を希望するボランティア・リストで、後から来たエリート会員がプライオリティを上げてもらえるという話は聞いたことがない。やはり、早い者勝ちであろう。

いざ鎌倉。 ボランティア募集のアナウンスがあれば、条件反射的に、カウンターへ掛けつけるという覚悟は 普段から できていても、その場にいなくて、既に終わっていては どうしようもない。

搭乗が始まり、機内で さらに追加のボランティア募集があるかと期待しつつ搭乗したが、満席だというアナウンスしかなかった。搭乗口でボランティアのことを話していた人たちは、やはり乗ってこなかった。

油断大敵

これが敗因であった。ボランティアを目指すには、最低でも、次の二つのことを心ががけるべきだろう。

1.直前に、インターネットなどで自分の乗るフライトの混み具合を確認しておくこと。

今回は、2週間ほど前に予約した時点で、最低レベルのVクラスでも予約が入ったので、このフライトは空いているものと、勝手に思い込んでいた。そのため、直前の混み具合の確認を怠っていた。
Last Minuteという うたい文句で、チケットを売る代理店もあるし、航空会社は、最後の最後で たたき売ってでも、空席をなくそうとするものだ。従って、チケットの購入時だけでなく、直前にも再度、混み具合を確認するべきだ。

2.早めにゲードに行くこと。

国際線の場合には、チェックインカウンターでも、ボランティアを募集している場合が多く、早めに空港に行って、チェックインした方がよい。
例えば、UAのKIXなら、チェックイン・カウンターの電光掲示板に案内が出るし、NWのLAXの場合なら、レターサイズの紙を、カウンターの上に置いて案内している。

噂では、チェックイン時に、オーバーブッキングしていないかと、必ず聞く人もいるそうだが、オーバーブッキングは、航空会社に非があり、「あなた、何か、まずいことしてしてませんか?」そのようなニュアンスも含まれてしまい、ちょっとやり過ぎの気がする。「今日のフライトは、そんなに混んでいませんか?」 その程度の聞き方なら良さそうだ。

直前の混み具合を調べておいて、予約がクローズ(キャンセル待ちも入らない)されていれば、それがオーバーブッキングの動かぬ証拠。
こういう時は、特に 早めに空港に行き、先程のように 「今日は、そんなに混んでいませんかね?」と聞いて、オーバーブッキングしているという返事があれば、ボランティアすれば良いだろう。

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2001年12月更新分

(NW)マニラ 2001年9月

概要 : 前日の成田便が欠航。次の日のNW便は軒並みオーバーブッキン グ。ボランティアして、1000ドルのバウチャをもらった。

/* 以下、愚痴を含めてダラダラ書いてしまいました。面白そうなところだけ、適当に拾い読みして下さい。*/

フィリピンからの帰り、NW25便でマニラから関空まで飛ぶ時のこと。NW25便は10月下旬から運休することになったが、9月の時点では、マニラから日本への便は、成田、名古屋、関空へ、合計毎日3便 飛んでいた。そのためか、空港へ行くと NWのカウンターは大混雑。何処が列の最後なのか見つけるのが難しいほどの長蛇の列が出来ていた。
それでも 私は上級会員なので、ビジネスクラスの方へ並び、アッと言うまに搭乗券をもらった。さらに、混んでいるためか、幸運にもアップグレードされた。

空港のサービス料550ペソ(11ドル)を払い、出国手続きを済ませ、59日を越えて滞在していたので、さらにECCと呼ばれる料金710ペソまで払って、やっとNWのラウンジ、ワールドクラブへとたどり着いた。朝の便なので、ラウンジでは たらふく朝飯を食べたことは説明するまでもない。

混んでいるので、早めに搭乗口まで行くと、出発の30分余り前から搭乗が始まったので、早々と機内に乗り込んだ。ジュースをもらって、新聞や雑誌を読んで くつろいでいたが、なかなか出発しない。搭乗してから1時間くらいして、アナウンスがあった。「席が不足していて、乗れない人が大勢、外で待っています。誰か降りてくれませんか?」 よく聞くせりふ。ボランティアの募集であった。 そこで例のごとく、電光石火、条件反射的に職員のところまで行き ボランティアに応募した。

私が飛行機を降りてからも、なかなか出発できなかった。予定出発時刻から1時間半くらい遅れて、やっと外で待っていた全員に席が割り当てられ、搭乗が完了し、ゲートが閉じられた。

NWの地上職員に先導され、他にもボランティアをした十数人と一緒に、入国審査、税関を素通りして、空港の外に出た。しばらくホテルの車を待って、マニラ・ホテルへと連れて行かれた。安宿派には縁がない高級ホテルである。ここに一泊、食べ放題の食事を三度出され、たっぷり太って帰ることになった。ホテルは、他の便で溢れた人も含めNW御一行さまで賑わっていた。

ホテルに着いて、航空会社から何か連絡があるはずと、フロントに何度も問い合わせたが、何の連絡も入っていない。普通なら、明日の集合時間くらいは、航空会社から言ってくれるはずだが、それもない。航空会社の職員がホテルにいるはずと探しても、見つからない。日曜日だったので、NWの予約の電話もつながらない。
しかし、ここはフィリピン。しかも、日本の航空会社ではない。こんなことは、当たり前。驚いてはいけないのだ。

次の朝、早く起きて、ロビーに行くと、NWの職員が来ていた。安心して たずねてみたところ、午後のフィリピン航空で帰るように指示された。搭乗券とバウチャー1000ドル分をもらって、幸運にもまだチェックアウトしていなかったので、部屋に戻って、集合時間の12時まで待つことになった。

そして、集合時間になったが、フィリピーノ・タイム。30分ほど遅れて、迎えの車がやってきた。車には、午後の便に乗るもう一人の乗客がいたので、話が聞けた。何でも、前々日の成田便が欠航になったそうで、しかも、散々待った挙げ句、他のNWの便が出てしまった後の欠航。 大量の乗客が次の日へと、あふれてしまったのである。ホテルでも、連続でボランティアになって喜んでいる人を見掛けたし、予約の係りの人が言うには、4日先まで、すべて満席。大変な混み具合のようだ。
車に乗りあわせた乗客が、とんでもなく遅れたと言うと、車の運転手は、よく言われるように ノース・ワースト・エアラインだと言い出した。しかし、ほんとうは、バウチャーを沢山くれる
ノース・ベスト・エアラインであることを、彼らはわかっていない。

話はさらに長くなるが、それは、空港のサービス料の支払で、もめたからである。
前日、サービス料を払ったが、空港から戻って来る時に、その払い戻しがなかったので、これは何かありそうだと予感していた。そこで、次の日、送迎の車に乗る前に、NWの職員に、サービス料の支払いについて尋ねてみたところ、空港のNWのオフィスに行ってから、フィリピン航空にチェックインするように指示された。そこで、NWのオフィスに行ってみると、サービス料の領収書を見せれば、問題ないとのこと。そう言って、その職員は、フィリピン航空のカウンターがある別のターミナルまで、送ってくれた。

さて、フィリピン航空のチェックインを済ませ、サービス料の支払窓口まで行ってみると、前日のサービス料の領収書だけでは駄目で、前日の搭乗券と、それについているサービス料の半券を出せと言われた。前日の搭乗券は当然、航空会社が回収したままである。一旦戻ってどうしようかと考えたが、NWのオフィスは別のターミナルにあり 遠い。オフィスに行っても、昨日の私の搭乗券がすぐ出てくるとは、考えにくい。そこで、あきらめて、サービス料を二重払いした。

前日は、NWでアップグレードされていたが、他社便に振り替えられてしまっては、アップグレードしてもらえるはずもなく、エコノミークラスに乗った。それでも、元々 特典旅行であったし、バウチャーを1000ドルも、もらっているので、アップグレードされなかったからといって、文句を言うつもりは、さらさらない。

サービス料の二重払いについても、払い戻せというつもりはさらさらない。逆にバウチャーを使って出掛けた土地で買った お土産を大量に持って行きたいくらいだ。そして、二千五百万ドルのように、有事の際には 今後とも気前良くバウチャーを出してもらえるよう、強力にプッシュしたいものだ。

ただし、今後もマニラのNW職員が、同じような間違いを繰り返さないよう、何かしたい気もする。しかし、そんなことを いちいち気にしていては、フィリピンで暮らすことは難しいのも事実。 こういう状況のため、予告通り、だらだらと書いてしまった次第である。

最後に、もらったバウチャーは、前回もらったバウチャと同じくメキシコ行きに使った。バウチャーで航空券を買っても、通常通りマイルが稼げたのも前回と同様である。キャンペーンのおかげで、3倍マイル(エコノミーでゴールドのボーナスあり)になった点が異なる。

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(UA) 2000年

99年は、ボランティアをすることが結構 多かった。そこで、2000年は航空券を買う前に、端末を覗いて、空席の多い飛行機に、できるだけ乗るようにした。その結果、ボランティアになることはなかった。
そうは言っても、航空会社はやってくれるもの。直前になって乗客をかき集めるのか、いざ空港に行ってみると、飛行機は混んでいて、ボランティアを募っている場合に2度遭遇した。どちらもUAだった。

一度目は、2000年5月、ロサンゼルス発シカゴ行きの夜行。
ゲートの前がやたらと混んでいると思っていたら、案の定、ボランティアを募集し出した。アナウンスが始まるや、条件反射的に、職員のところまで行き、ボランティアリストに名前を載せてもらった。 さて、いざ搭乗の時間になると、今度は、「全員乗れるようになりました。ご協力ありがとうございます。」 とのアナウンス。 お詫びのためか、20ドルのクーポン券をもらって、予定通りシカゴへと向かった。

二度目は、2001年9月、シカゴ発トロント行き。
その日は、トロント行きの他の時間帯の便も、軒並み混んでいた。予約していた便も、ボランティアを募集し始めた。既にファーストクラスにアップグレードしてもらっていたので、少しためらったが、いつものように手を挙げた。
結果は、ボランティアの必要がなくなり、予定の便でトロントへと向かった。

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(UA)サンフランシスコ 99年12月(失敗編)

シアトルからサンフランシスコを経由してモンテレー(CA)に飛ぶ時のことだった。この日はサンフランシスコの天候が良くなく、ダイヤが乱れていた。さらに、搭乗予定のモンテレー行きは、前の便の3時間後で、間隔が空いていた。混む理由として考えられるのは、この2つである。

ゲートに着くと、ボランティア募集のアナウンスがあり、すかさずボランティアリストに名前を載せてもらった。次の便が約1時間後、すぐなのでバウチャーは100ドルで許してくれとのこと。しかし、この時は、予約客のチェックインは残2席で打ち止め。私とスタンバイ客もう一人も乗せ、満席で飛びたった。

モンテレーには車では何度も行ったことがあるが、飛行機で行くのは初めて。暗くならないうちに空港に着き、なんとか街道沿いのモーテル街にたどり着くことができた。

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(UA)デンバー 99年11月

COMDEX帰りで太平洋線が混んでいて、1日寄り道して、デンバーからグランドジャンクション(Grand Junction)へ行く途中のことであった。飛行機が小さいためか、グランドジャンクション行きは軒並み混んでいた。まわりの会話を聞いていて、Thanks giving前の週末で、家族に会いに家に帰る人が多いことがわかった。

出発の30分前になり、ボランティアを募集しだしたので、すぐに希望してリストに入れてもらった。やはりいっぱいになったので、300ドルのバウチャをもらって3時間遅れの便に乗った。

さて、この時もらったバウチャーは、他のバウチャーとは組み合わせて使うことはできないとのこと。同じ種類で、シリアル番号が違うだけでもダメ。かなり条件がきつい。 その他の条件は、1年有効。本人以外でも使えるが、本人のIDを見せて発券してもらう必要がある。Published Fareのみ。コードシェア便には使えない。アップグレードには使えない等。

GO USA14を買うのに使う予定である。

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(UA)関空 99年10月

久々になってしまったが、馴染みのUA810便サンフランシスコ行きに乗った。チケットは2日前に購入。その時は混んでいなかったので、簡単に予約が入った。しかし、なぜが当日空港に行くと混んでいた。
オーバーブッキングしている旨が 電光掲示板に表示されていたので、最初エコノミーの列に並んでたものの、急ぐため1Kのカードを見せて、ファーストクラスの列に並び直し、ボランティアのリストに入れてもらった。

関空では、ボランティアになるといっても、いったん出国手続きを済ましてから、搭乗口で、飛行機に乗れるかどうか、待つことになる。搭乗の時間になると、修学旅行の高校生がたくさん現れた。前日の調整で、修学旅行の団体が、振り分けられて来たのが、急に混み合った理由のようだ。

搭乗間際になり、例によって呼び出しのアナウンスがあった。やはり、あふれてしまったので、明日の便で行って下さいとのことであった。飛行機が出るまで、ラウンジに戻りしばらく待ってから、UAの職員から渡された書類に、必要事項を記入。これは、400ドルの現金を振り込んでもらうためのものである。

結局、次の日になったのは6人。来た道を一緒に戻った。まず、出国審査場に行き、出国を無効にてもらい、入国審査の横をすりぬけ、バゲッジクレームで荷物を受け取り、税関を素通りし空港の外に出た。出国税を払い戻してもらってから、家に帰る人と分かれ、ホテルの送迎バスに乗った。家に帰る場合は、交通費を支給してもらえる。

ホテルは、ANAホテル。ボランティア組は、Delayというグループ名が付けられていて、思わず苦笑した。広い部屋をあてがってもらい、十分くつろぐことができた。次の日の昼まで3食付き。朝食はバイキング。

翌日。飛行機は夕方出発なので、十分に時間もあり、ホテルのあるりんくうタウンを散策してから空港へ向かった。この日も十分混んでいることがあらかじめわかっていて、空港では予想どおり、前日同様オーバーブックの電光表示がなされていた。ボランティアリストに入れてもらったが、幸か不幸かこの日は乗ることができた。

ボランティアで予定がずれたので、最初に途中降機するBellinghamへ向かう途中、Seattleのレッドカーペットクラブで、すべての日程を1日、遅らしてもらうようお願いした。ところが、次の日 Bellinghamから引き返しTucsonへ向かうところで、一部の区間の予約が、入っていないことが判明。Bellinghamのチェックインカウンターでは、取り合ってもらえず、自分で電話して予約を入れ直す羽目になった。ボランティアで、遅れてしまった場合の予約については、基本的には、最初の空港ですべて処理してもらえるはず。しかし、混んでいて航空会社の職員は忙しいので、こちらから何も言わなければ、その日の分だけで、終わってしまう可能性が大きい。そこで、逆にその後の予約については、FIXのチケットでも、融通を利かせてもらえる可能性がある。

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(NW)ロサンゼルス 99年6月

NW1便ロサンゼルス発、成田行きでボランティアになった。余談だが、この便は12年前、初めてアメリカへ行った時の帰りにも乗った、なつかしい便である。この時ボランティアを募るに至った混み合う理由は、以下の3つに集約できる。

このような混む時期に、予約が入ったのが不思議なくらいだが、日本出発の前日にチケットを購入。実際のフライトの1週間くらい前だったが、なんとかチケットは買えた。旅行会社によると最後の1席だったとのこと。

さて、1日目。飛行機が混んでいることはわかっていたので、早めにリコンファームは済ませてあったが、空港へも早めに足を運んだ。いざ搭乗という時になり、オーバーブッキングのためボランティアになって欲しいとのアナウンスが流れた。そこで、すぐさまカウンターに向かい、ボランティアを希望した。ボランティアが10人くらい集まったところで、何とか飛行機が出せる状態になった。飛行機が飛び発った後、1000ドルのバウチャーとホテルの宿泊券、食事券をもらって、ホテルへ向かった。ホテルは空港前のホリデーイン。場所は一箇所に指定されていた。

午後時間があったので、サンタモニカまで足を運んだ。

2日目。前日ボランティアした人を加え、この日も混んでいることがわかっていたので、やはり、早めに空港に着いた。チェックインカウンターにレターサイズの紙で、オーバーブックしている旨が書かれてあり、今日もボランティアしますかと聞かれたので、はいと答えた。この日は、飛行機の出発を待たず、カウンターでバウチャー一式をもらったので、早々とホテルに戻った。午後も十分時間があり、今度はビバリーヒルズまで行ってみた。

3日目。この日も混んでいることが分かっていたので、やはり早めに空港に向かった。3時間前には、チェックインカウンターに並んだのだが、既にたくさんのフィリピン人が並んでいて、順番にボランティアの処理をしていた。荷物の多さとタガログ語をしゃべっていることからフィリピン人と簡単に分かったし、みんなチェックインにやたら時間がかかっているのでボランティアになっているのが分かった。私の番になると、既にボランティア募集は終了。紙はしまわれていた。しかし、ゲートに行ってみると、まだボランティア募集の紙が置いてあり、リストに入れてもらい、出発の時間を待った。しかし、大量のフィリピン人のボランティアの後だったので、何とか乗れてしまい帰国の途に着いた。3日目は、新しく水族館ができたロングビーチに行く予定だったが、計画倒れになってしまった。マニラ市内の渋滞と、混み合う空港で鍛えられているフィリピン人に負けないためには、4時間前には空港に行く必要がある。また、マイレージのエリート会員ならビジネスクラスの列に並んでおく方が良い。

結局、2日で2000ドル分のバウチャーをもらった。これでまたマイルを貯めるために、米国に出かける予定である。

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