Water pipe transfer project

ホース転がしプロジェクト

2002年1月


パイプ転がしプロジェクト第一号の実験台

不足していた200mのパイプを補い、右側の水槽に水が貯まるようになった。昼間は水は少ししか来ないが、夜になると水量が増え、水槽が一杯になる。この水で近所の人が洗濯する。40人近くの人が利用。水が家の近くまで来たことと、水槽に水を貯められるようになったことがメリット。
場所は、いろいろと取り組みを進めている、シキホール島のトンゴ(Tongo)村。次は別の地域でも試す予定。


日本のように、水道の蛇口をひねれば、いつでも、どこでも、水が得られる国に住んでいると、世界中、どこでも水道があるものと錯覚してしまい易い。実際には、米国でも田舎に行くと自分で井戸を掘ったり、池から水を引いて浄化したりとか、個人が水を準備する必要がある所は多い。さらには、アフリカなどで飢饉のところでは、もっと悲惨な状況であろう。

他の地域と比較して、フィリピンの田舎で水道が来ないところに対して、私のようなプロジェクトを行うことに、どれだけプライオリティがあるかは、何とも言えない。それでも、これが日本なら、震災地で水道管が破裂した場合と同じで、ライフラインが途絶えたと大問題になり、多くのボランティアが駆けつけることだろう。百点満点のプロジェクトとは言い難いが、それでも多くの人が困っていることなので、十分意義があるプロジェクトと言える。

プロジェクトの概要はとても単純だ。人/mを評価関数にして、出来るだけ短いパイプの長さで、できるだけたくさんの人が恩恵にあずかれる効率の良いところに、パイプを移していこうというものである。そこそこの長さのパイプを準備し、効率が良さそうなところにパイプを貸し出す。その後、別にさらに効率が良い場所が見つかった場合は、パイプをそちらに持って行く。

パイプを持って行かれてしまったところはどうするのか?
これには3つの対策が考えられる。

1.フィリピンでは、闘鶏が流行っている。闘鶏の掛け金は払っても、パイプは自分で買いたくないというのは、とてもわがままな主張と言えるだろう。私もそんな輩にパイプを貸す気はさらさらない。そこで、そういう連中が見つかれば、しばらく闘鶏に行くのを止めて、そのお金でパイプを買えと主張する。最初から、そういう連中のいるところにパイプを持って行ったこと自体が間違いとも言えるが、はじめは緩く、後で厳しくするのは一つの戦術と言える。人々が便利さに慣れた後なら、自分で買う気になりやすい。

2.役場に交渉する。そもそも、最初に挙げているような共有のところに水を引くのは、行政の仕事のはずだが、市長に聞いても、そこまで資金はないとのことである。それでも立派な下水道をつくったり、新道をつくったり、他にはふんだんに資金がありそうなので、その辺が本当は、最も大切なことのはずだが、下手にこの問題に首を突っ込み過ぎると、仕事を失いそうになった業者がショットマンを送りつける可能性もあり、影武者を雇うなど万全の対策が必要になって来よう。義憤をストレートにぶつけられないのが、フィリピンでの取り組みの難しいところと言える。
話の主旨からずれてしまったが、例えば、都合により放置されたままになった 大きな水道管を沢山見かけるので、それらを売って、ホースを買ってはどうかといった内容で交渉してみる。
このプロジェクトは、役場の「すぐやる課」の仕事に相当しており、実行して、成果が出た後なら、いろいろ交渉し易いはずだ。

3.最後は、闘鶏の掛け金も、行政もあてに出来ない場合だが、この場合は、自分たちで、分担して買えないか、検討してもらう。一人当たりにすれば、大抵50ペソ以下で済むはずだ。一人当たり100円余りなので、最初から自分で買えよとも言いたくなるが、残念ながら、私が主張する「貧困問題=怠け者問題@フィリピン」というほとんど自明の真理に行き着いたまま解決しない。お金が無いから買えないと皆で主張するのである。

あえて苦言を呈しているが、その理由は、本当に大切なのは、現地に仕事が沢山あり、皆が真面目に働き、得られた賃金を使って、自分達でパイプを購入することのはずだからだ。


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