耳が不自由なRodel少年

2000年2月


隣の子供とバトミントンを楽しむ

近所の子供と打ち解けるようになった。

キーボードをたたくRodel少年と友だち

Bad Boy

2月にシキホール島を訪れて、何度かRodel少年に会いに行った。最初に会いに行った日、Rodel少年は不在であった。闘蜘蛛をしに、家々を練り歩いているとのこと。そこで、例によって隣のPonce家に行き、子供たちと一緒に待つことにした。

子供たちと遊んでいて、新たな問題が発生していることがわかった。Rodel少年は不良なので、いっしょに遊びたくないというのである。Rodel少年には良い友達が必要なので、まったく困ってしまった。

たまたま今回はバトミントンを持ってきたので、まずは、Ponce家の少年たちと、一緒にバトミントンをして楽しんだ。そうこうしているうちにRodel少年が帰ってきた。子供たちは彼を加えてバトミントンを始めた。その次にRodel少年の家を訪問した時も、Rodel少年を加え子供たちはバトミントンを始めた。これでなんとか仲直りができたようだ。

耳の障害

さて、前回まで、Rodel少年は、完全に耳が聞こえないものと思っていたが、実はそうではないらしい。他にも詳しい話を母親から聞くことができた。

生まれた時は、彼は耳が聞こえていたそうだ。ところが、3歳の時に、耳の病気をして、さらに良くない薬のせいで、こじらせてしまい、その結果ほとんど耳が聞こえないようになってしまった。しかし、まったく聞こえないわけではなく、雷の音は聞こえるし、はっきりママと言えるそうだ。母親の意見では、補聴器があれば、聞こえるようになるはずとのこと。

実際、後ろから大きな声で呼ぶと、振り向いてくれる。さらに、私が口の動きを見せて、発声練習してみると、アー、イー、ウーまでは言えた。しかし、エーになるとだめで、さらに子音を加えて、ラーだの、キーだの言い出すとまったく駄目であった。しかし、補聴器があれば、聞こえて話せるようになりそうな、確かな手応えを感じた。

近所の子供も横で見ていたので、そのうち、Rodel少年に発声練習させるゲームが流行り出せばしめたものである。そしてさらに、できるだけ早く補聴器を手に入れ、聞こえて話せるようになってもらいたいものである。

前回までは、
(1)パソコンで音声認識と、音声合成を行い会話ができるようにする。
(2)Cebuのろうあ学校に通うための、奨学金を探す。

この2つが当面のターゲットかと思っていたが、どうやらそうではなくて、

(1)病院に行き、彼にとって補聴器が役に立つことを確認し、補聴器を入手する手立てを考える。
(2)補聴器を使うようになれば、近くの学校に通い始める。

この2つが当面のターゲットのようだ。
キーボードの練習のため、日本から持って行ったMobile Gearは、残念ながら当面活躍の場を失った。しかし次のステップでは、使えそうである。

行政からの支援

さて、日本の常識では、このようなRodel少年に、何か行政からの支援があっても良さそうに思う。底で、シキホールの市役所に行って、ケースワーカーの方に状況を尋ねてみた。その結果は、ほとんど、支援はないということがわかった。
この島には、少なくとも、もう2人耳が不自由な子供がいて、一人は親が小学校の先生。その先生は、手話ができて、Rodel少年はその先生の元に、1週間ほど手話を習いに行ったとのこと。その時のジプニー(乗合自動車)代だけは、行政から支給されたそうだ。ジプニーは7円くらいで乗れるので、たいした額ではない。 予算がないので、仕方なさそうである。
もう1人の子供は、ベルギー政府から支援を受けているそうである。やはり、外国に支援を求めるのが現実的か。

文字の練習

前回、文字の練習のためにテキスト、ノート、鉛筆などを渡しておいた。その成果を見せてもらったところ、かなり文字を覚えてくれたようである。彼は左利きで、文字は左右対称。私の幼稚園の時とまったく同じだ。


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