耳が不自由なRodel少年

2000年4月


近所の子供達と、浜辺で記念撮影

2000年4月に、シキホール島に戻り、Rodel少年と近所の子供達を何度か訪ねた。
この時は、ちょうど学校の夏休み。毎回、帰り際、また明日も来いと、子供達からせがまれた。

今回の良いニュースは、Rodel少年の学校行きが決まったこと。納得がいかない点もあるが、とにかく、手話のできる先生がシキホール島にいることが判明し、その先生のもとで、小学1年から始めることになったのである。これまで、何度も学校に行ってはどうかと説得していたので、非常にうれしい。 新学期が始まる6月から、Rodel少年は学校に通うことになる。

公立学校なので授業料は基本的に無料だが、文房具代や、交通費など諸経費がかかる。Rodel少年の母親の話では、月々400ペソ程度(1000円余り)必要だという。母親の収入で、まかなえるのか心配だ。
この400ペソには、交通費も含まれている。自転車を寄付するので、それで行ってはどうかと申し出てみたが、 耳が聞こえないので危ないからダメとのこと。それも一理あるが、日本人の感覚からは、自転車利用も、まだ捨て難い案だ。

文字の練習

前回同様、文字の練習に付き合った。ゆっくりだが、かなりうまく書けるようになった。

自分で書いた文字を見せるRodel少年

日本語を習う

Rodel少年と近所の子供達は何でも興味を示す。日本を習おうというと、すぐに飛びついてきた。
最初は、しょじょ寺から。フィリピンでは、1999〜2000年、ディスコ しょじょ寺だ大流行。どの青空ディスコでも、定番となっている。ちなみにフィリピンの一般的なディスコは、日本の盆踊りのようなもの。そして、こちらは常夏の国。週末になるといつも、村ごとにディスコを開いて、踊っているところが多い。
歌詞を、アルファベットで書き写し、皆に歌ってもらった。

次に、日本語の教科書を使って練習。教科書中で重要なところだけを、説明しようとしたが、なかなか受け入れられない。子供達は人の説明を聞くのがあまり好きでないらしい。勝手に教科書を手コピーしだした。自主的に学習を進めるのは大変結構なことだが、やはり語学は聞いてしゃべることから。私の後に続いて、発音の練習もして欲しいものだ。

日本語の練習を始めた子供達
特に熱心なRhoda。前回欠席した分を取り戻そうと、熱心に教科書を手コピーしだした。

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