Long and winding road to Japan
〜 パスポート、ビザの発給 〜

2008年2月9日作成
2010年5月26日最終更新



近所の人が、福岡県が主催する短期の研修に応募し、採用されたので、その渡航の準備を手伝った。具体的にはパスポートやビザの発給を受けたり、航空券の手配をするといったことだが、日本の感覚なら、そんなことは1日か2日かければ十分で、後は待っていれば、済みそうなことであろう。しかしながら、フィリピンではそうは簡単にはいかない。 なんと2ヶ月半近くかかってしまった。もちろん、待ち時間も含めての話だが、なんと非効率なことをしているかと言わざるを得ない。

インターネットで検索すれば、日本人とフィリピン人が結婚して、配偶者が日本にやってくるまでの手続きについて、いろいろな情報が得られ、それぞれに苦労していることがわかる。

知り合いの場合でも、奥さんが結婚後 日本に来るのに、在留資格認定証の有効期間の3ヶ月ぎりぎりで、なんとか間に合って日本に来れた人がいた。国の機関であるNSO(National Statistic Office)発行のMC(Marriage Contract, Marriage Certificate)と呼ばれる証明書を入手するのに時間がかかったからである。これが、パスポートやビザの申請に必要なのであるが、下手をすると長い時間かかってしまう。

パスポートを申請しようと旅行代理店に依頼しようとしたら、運転免許などのID(身分証明書)を、3つ用意することを要求され、さらに古いIDがいると言われ、途方に暮れている人もいる。

外国で不法就労したり、借金の踏み倒しなどをした後帰国し、その後、また同じく国に戻るため、別の名前でパスポートを発行しようとする人が後を絶たないので、インチキを排除するために、チェックが厳しくなるのである。普通の善良な人はこれに付き合わされるので、とんだ とばっちりと言える。

今回かかった時間は、パスポートの発給待ちがちょうど1ヶ月で、これが一番長かった。以前は追加料金を払えば、2日で発給されたようで、セブのDFAの前に貼り出された情報では、未だに2日で発給となっていて、あきれるしかない。パスポートの申請準備にも同様に1ヶ月ほどかかった。いろいろな書類を準備しないといけないからだが、ほとんどは、NSO発行のBC(Birth Certificate 出生証明書)を入手するためにかかった時間であった。申請者は、これまで出生届を出しておらず、後出し(Late Registration、遅延登録)したので、時間がかかってしまった。出生届を出していないというのは、フィリピンでは珍しいことではない。NSO発行のBCがなくて、パスポートの申請ができずに困っている人の事例は、インターネットで検索すれば、いくらでも見つかる。それでも、今回のように、外国に行くことにならなければ、出生届が出されていなくても普通に生活できる。

Late Registrationは、不正の温床にもなっている。例えば、日本に、エンターテイナー(タレント)で来日し、そのままオーバーステイして、強制送還される。そして、名前を変えて、どこか別の場所ででもLate Registrationして、偽名のパスポートを得て、また日本に来ていたというようなことである。インターネットによる情報では、偽名を使って日本人と結婚した人も少なくないそうだ。、昨年から入国審査が変わり、日本でも、米国と同じように指紋を取るようになったので、そういう人は、フィリピンに里帰りして、日本に戻ると 指紋でインチキがばれるので、日本から出国できないそうだ。気の毒と言えるのかもしれないが、やはり偽名なんか使って結婚するのは、やめて欲しいと思うのが普通であろう。

これに対して、ビザの方は、代行業者から3週間近くかかるという話だったのに対して、10日ほどで発給してもらえた。日本の受け入れ組織から、領事館に電話でプッシュして、特別な計らいをしてもらえたからである。ビザの代理申請で時間がかかるようになったという話はあるが、一般に言われている大使館の悪評とは正反対で、素晴らしいの一言尽きる。

以下、さらに詳細に参考情報を紹介する。インターネットで検索すれば、沢山 情報は得られるのであるが、結局それらだけでは十分でなかったので、今回の経験を踏まえ、まとめなおした。それでも、ここで完璧な情報を提供できているわけではない。フィリピンなので、しかるべきところにお金を積めば、パスポートなどは、すぐに発給してもらえそうだが、怪しい世界なので、そういう方面は追求していない。 また、インターネットで検索して得られるのは、ほとんどが、日本人と結婚したフィリピン人の場合であり、今回は研修で、その点も異なる。

パスポート

パスポート申請の必要書類

十分条件を示すのは容易だが、結局、正確に何が必要と言い切れるのかよく分からなかった。

例えば、セブのDFA(外務省)の窓口に行けば、パスポートの申請には、NSO(National Statistic Office)版のBC(Birth Certificate 出生証明)だけでなく、それのNSOからの領収書も必要となっている。領収書まで要求するのは、他では聞かない。BCの偽造対策であることは容易に分かるが、領収書の方は、案内にはマジックインキで追加で書かれているだけであり、万一紛失した場合には許してくれるのか、もう一度NSOに行き、BCを再度発行してもらい領収書をもらって来いと言うのか どちらなのだろうと思ってしまう。

ドゥマゲッティの旅行代理店に2箇所に行って、聞いてみたが、要求事項が異なっていた。また、インターネットで国が直接公開している情報もあるしDFAからの情報もある。国とDFAでは、写真の背景の色が、電子化パスポートになって変わったことを修正しているかどうかの違いはあったが、その他は、基本的には矛盾することはない。しかし、身分証明(ID)をもって来いと言っているが、何が良いのか、幾つ必要なのかよくわからない。セブのDFAの窓口の職員の話では、3年以上経過した古いIDが必要とのことだが、必ず必要なのかどうかが良く分からない。ドゥマゲッティの旅行代理店の話では、古いIDがない場合には、IDが3つ必要と言っている。この3つというのは、インターネット上で、世間一般に言われていることである。しかし、国やDFAがインターネットで公開している情報では、3つも必要とは書いていない。

結局 必要最小限の努力で確実に合格する答案の書き方のような条件を挙げておくのが一番良いのであろう。

セブのDFAの前に貼り出された情報が、かなり具体的に必要事項を挙げているので、そちらをまず紹介しておく。

初めての申請の場合

1.NSO版のBC(出生証明)および、NSO発行の正式な領収書
2.以下のどれかの原本とコピー
a)Baptismal Certificate or Voter's Affidavit(BCの後出し、late registration or delayed registration)
b)NBI clearance(無犯罪証明)
c)Baptismal Certificate
d)Transcript of Record
3.ID
4.Passport Application Form
5.3pcs picture
6.Personal Apprearance

以上となっている。

さらに既婚者の場合には、NSOで発行されたMC(Marriage Contract, Marriage certificate)と、NSOからの領収書が必要である。

NSO版のBCはドゥマゲッティのNSOの場合、午前中に請求すれば、午後には証書がもらえる。ちゃんと登録されていれば、問題なく発行されるので、それを使えばよい。もちろん領収書を忘れてはいけない。今回のような場合だと、Negativeな証書をもられる。それを持って、新たに登録の手続きを始める。

Baptismal Certificateは洗礼を受けた場所で、Voter's Affidavitは投票している地域で、NBI clearanceは、最寄のNBIで、それぞれ簡単に発行してもらえるので、これらは揃えておきたい。今回は別の学生でもパスポートの申請を試してみたが、Late registrationではなかったので、Baptismal Certificateは不要であった。しかし、地元で簡単に発行してもらえるなら、念のため、揃えておいた方が良い。Late registrationの場合には、どうせ出生地に行って手続きするはずなので、その時に入手すれば良い。 Late registrationではなくて、Baptismal Certificateを得るのにわざわざ遠くまで出かけないといけないなら省略しても良いということになろう。

さて、よく分からないのはIDである。「ここでは噂を信じなくちゃいけなくて、IDは3つ準備したい。」 そう書くのは簡単で、IDが3つある人は、それを持って行けば良い。銀行口座を開設する場合でも複数のIDを要求される。そこそこの枚数のIDがある人は 少なくないはずだ。例えば運転免許証などだ。
今回の研修参加者の場合には、運転免許証、Postal IDと協同組合の3つのIDだが、どれも3年経過していなかった。Voter's Affidavitが3年以上だったので、それで良しとされた。Late registrationは偽造を疑われるので、3年ものがMUSTのようだ。少なくとも3年前からは同じ名前を使っていることを確認するためである。
これに対して、もう一人の学生の方は、IDは学生証だけで、3年は経過していなかったがそれで問題なかった。Late registrationでなければ、IDは学生証や社員証、運転免許証など、既にある何かで十分であろう。
学生でもなく、勤めてもいなく、運転免許もなく、何もないとどうするのか?そういう人も少なくなさそうだが、DFAの要求では、IDが必要となっているので、例えば、わりと短期間で入手できるPostal ID等を準備するということになろう。しかし、Postal IDだけで十分かというと、少し不安な気もする。
Late registrationならば、IDが3つないと不安だ。3年以上の古いものというのも必須であろう。

出生届の後出し

既に何度も登場させているが、Late Registration(遅延登録)と呼ばれる出生届の後出しがフィリピンではかなり多い。今回も、これが手続きに時間がかかった大きな原因である。日本では、出生届の出し忘れの代償は大きいので、普通は期限内に届出しているはずだ。必ずと言ってもいいだろう。しかし、フィリピンでは、出生届が出されていない人は沢山いる。普通はそれでも問題なく生活できるのだが、今回のように、外国に行くことになるとパスポートの申請のために、出生届を後出しすることになる。
NSOのホームページによれば、そのためには、まず出生地の役場で出生届を出すよう指示している。1Aと呼ばれるもので、今回の場合には、その申請のために、
1.Baptismal certificate
2.School record
3.Negative result of NSO 
この3つを要求された。
出生地での登録が済むと、役場からマニラのNSOに転送され、そのうちNSOのデータベースに登録されるということである。しかし、そのうちというのが、知り合いの日本人の例では、1年後だと言われてしまったという話がある。今回の研修者の場合、出生地の役場の職員の話では、NSO版の出生証明の発行の手数料を払っていれば、2週間程度で登録されるとのことであった。ミンダナオの田舎なので、マニラにまとめて転送するのが、週に1回だけで、その遅れも含まれている。
マニラのNSOの職員の話では、手数料の払われていない出生届も年に1度NSOで登録するとのことなので、これは、1年後と言われた日本人の話と符合する。
今回は、できるだけ急ぐので、マニラのNSOの職員の携帯電話の番号を地元のNSOの職員から教えてもらい、その人と直接電話で交渉し、その人に直接、NSOの手数料+宅配便の手数料+アルファのお金を送り、おつりは要らないことにして、特別な計らいを頼んだ。わざわざ宅急便で送ってもらったりしているので、ある程度はお礼を払う必要があろう。
通常なら、出生地の役場の指示に従い、必要な書類を提出し、要求された料金を払っていれば、マニラのNSOに転送され、2週間もすれば、登録が済み、後は最寄のNSOに行けば、NSO版のBCを発行してもらえる。

順番が前後するが、今回は、この最初のところでも つまづいていた。
NSOに行って、j結果がNegative、未登録であることが分かる2ヶ月前に、出生地の役場に登録の依頼を送りつけていたのである。私は全然関知していなかったが、本人は、出生届が出されていないのでまずいと思ったからである。しかしながら、その後のフォローをしていなかったので、そこで止まっていた。手数料を払っていないのと、書類の不備があったからである。なぜ、電話して確認しなかったのかと聞くと、電話番号が分からなかったからとのことであった。そんなものはいくらでも、探す手立てがあるはずで、こちらの人の知恵は その程度と言わざるを得ない。その後は、それを教訓に、必要なら前もって電話するよう、やり方を変えてもらった。
この2ヶ月前というのは、研修の申し込みを始めた当初であり、採用が決まる1ヶ月以上前のことであった。パスポートやVISAの準備などは、採用が決まるまでは動けないと、日本側から釘をさされていたので、私の方は、それに従い、何もしていなかった。大学に受かる前から、下宿先を決めに行くようなものであろう。理3に一番で受かりそうな受験生でも、入試の前に 下宿屋探しに明け暮れることなどないだろう。そう思っていたが、結果論としては、今回はそうではなかった。そのすぐ後に、別の難関が控えていて、そちらの準備も併せてしておく必要があったのである。
同じく結果論だが、NSO関連だけでも、さっさと処理しておけば、宅急便で済ませるものはそうして、出掛けるのは最小限に抑え、費用もかなり抑えられ、出発予定よりもかなり前に、出発準備は済んでいたはずである。

パスポート発給期間の変遷


フィリピンでは、昨年の12月3日から、新規発給分は、機械読み取り式のパスポートに切り替わった。それは良いことなのだが、マニラで一括印刷していて、そのプリンターの調子が悪く、全般に処理が滞っていた。

パスポートの発給に必要な期間は以下のように変遷している。

通常料金 6日 → 15日 → 25日
特急料金 2日 →  7日 → 15日

これは、Working dayで、週末や休日は含まれていない。15日というのは最短でも3週間後となる。機械読み取り式になって、特急7日、通常15日となる予定が、実際には、15日と25日になっている。今回の場合には、年末年始、クリスマスの休暇が加わり、さらに、おまけで遅れ、木曜日の発給の予定が、次の月曜日になり、結局発給まで1ヶ月かかった。指定された日にバスポートを発給できないのでは、本人は、パスポートの受け取りのため、現地(セブ)で毎日待っているしかない。こんなことをやっていては、日本なら、とんでもない大失態で、マスコミ、国民から追求されることになろうが、フィリピンでは、フィリピーノ・タイムと言うだけで終わってしまう。

日本が援助してくれて、機械の台数が増え、短期間で発給されるようになったらいいなと思ってしまう。   

もう一人、試しにパスポートの申請をしてもらい、2月になって受け取りに行ったが、念のため、予定より約1週間後に取りに行った。前回の教訓が役に立ち、今度は現地で2時間ほど待たされるだけで済んだ。受け取り側もフィリピーのタイムで対抗したということだ。

事情が飲み込めずに、指定された日にパスポートを取りに来た人はどうなるか?2月になっても1月と状況は変わっていないのだが、警備員がパスポートの受領証を本人に返して、後日再度取りに来るよう言うだけだ。警備員も周囲の人も、そんな早くに取りに来てどうするのかと言わんばかりで、ちょっと他の国では想像できない雰囲気だ。

パスポートのReleaseは、午後に行われ、午後受領書を渡しておけば、順番に名前を呼んでくれる。
しかし、中では一人でやっているようで、これに対し、何百人が何時間も待っているのは、非常に効率が悪い。待っている人が手伝ってあげたらよいと思ってしまうが、セキュリティ上の問題(パスポートの盗難)や、担当者の給料の問題に波及しそうでできないと言われそうだ。

ビザ

ビザの代理申請

昨年の7月30日以降は、一部を除き、ビザは代理申請のみ受け付けるようになった。指定された代行業者が窓口になり、そこへ ビザ申請を依頼する。しかしながら、手数料が高い上に、ビザ発給に時間がかかるので、評判が良くない。今回は、業者の回答では、発給までに通常なら2〜3週間かかるということであった。日本語の書類の確認ができて、しかも、セブにあるのは1ヶ所だけで、機械的にそこに依頼することになったのだが、マニラまで書類を送り、パスポートが帰ってくる郵送の期間も、その中に1週間ほど含まれていそうであった。
とにかく、なるべく早くビザを発給してもらうため、業者から受付番号を聞いて、日本から領事館に電話でプッシュしてもらうことになった。私も領事館に電話してみた。すると、人道的理由がある場合だけ受け付けるという録音のアナウンスが流れ、弱気な私は、早々あきらめてしまった。しかし、日本の受け入れ側の方は、経験豊かで、うまく領事館の担当の方と交渉して、早急な対応をしてもらうことができた。しかし、通常は、配慮されるべき十分な理由がないと駄目で、ここで書くのは あまり相応しくなかったかもしれない。

ビザ申請の要求事項

必要な書類は、ビザの種類ごとに領事館から公開されているので、それを参考にすれば良い。今回の場合は、短期の商用で、必要書類は、少し簡単に書くが、
1.パスーポート 2.ビザ申請書 3.写真1枚 4.滞在予定表 5.在職証明書 6.社会保障カード(
SSSカード)写し 7.出張命令書またはこれに順ずる文書 8.招聘理由書 9.法人登記簿謄本、会社案内書又は会社/団体概要説明書 10.会社間の取引契約書、取引品資料、会議資料等 11.身元保証書
以上である。

日本で受け入れ側の団体があるので、そちらで、かなりの書類を準備してもらったのだが、5.の在職証明書と、6.のSSSカードが課題となった。研修にくる人は、主婦で在職していないので、在職証明書は出ない。今回はこちらの"Cow girls project"のための情報収集や実習のために来日するので、その線に沿って、在職証明書に代える文書を作成して提出した。 
SSSは、これに加入すれば年金がもらえたり、お金を借りられたり、社会保障の仕組みである。米国では、銀行口座を開設するにも、Social Security Numberが必要だが、SSSの場合もこれと同様に、一人に1つの番号だけが振り当てられ、ビザ申請にも、個人の特定のために使われている。
にわかにSSSに加入しても、すぐにはカードが送られて来ないのが課題である。SSSの事務所で、「3ヶ月ほど待っていれば、カードは送られてくる。」という回答をもらったが、それでは遅すぎる。ドゥマゲッティやセブにあるSSSの事務所に行っても、すぐにはカードを発行してもらえないので、マニラの事務所まで行くべきか考えた。
そして、その前に、領事館に電話してみた。領事館のHPにSSSカードの写しが必要と書いてあるからだ。すると、電話では、録音で、質問は代行業者にするように指示があり、それに従って、業者に電話してみたら、確かにそれが役に立った。領事館のHPには書かれていない裏技があったのである。
カードがない場合には、E-1フォームと呼ばれるSSS加入を証明する書類で代替が可能とのことであった。これは地元のSSSのオフィスで簡単に発行してもらえる。しかし、E-1は勤めている人の場合で、自営業者などの場合には、RS-1と呼ばれるフォームになり、今回はこれだったが、当然こちらでも認められる。
さらに、別のオプションもあり、それは、
SSSのHPを開き、SSS番号、加入者の名前と生年月日を入力すれば、ログインできて、個人情報のページに入れる。これをプリントアウトすればよいということである。
裏技が領事館のHPに書かれていないのは、それなりに理解できる気がするが、こちらもそれで苦労したので、ここで紹介してもバチは当たるまい。
業者に早めに電話しておけば、苦労せずに済んだのだが、いちいち聞かなくてもインターネットに頼りたくなるのと、業者のHPでは、準備のための打ち合わせについて厳しく制限するようなことが書かれていて、問い合わせも最小限にしようと思ったのが仇になった。

面接

パスポートを入手するや、業者に駆けつけ、代理申請を終えた。事前に業者に行き書類の確認は済んでいたので、すんなり済んだ。後は待つだけというところだったが、日本から、ビザ早期発給のためのプッシュの電話を入れてもらったので、話がとんとん拍子に進んだ。そして、セブで面接をするという情報が領事館の担当者から伝えられた。できれば面接は避けたかったが、そう言われては仕方がない。しかし、カンニングペーパーでももらえたように、事前に質問の内容も教えてもらえた。在職証明書に代える文書の中で、申請者は、主婦で、夫の収入以外には、近くの海で魚介類を獲るなどして生計を立てていると書いたのである。それがどうして、牛の世話の研修に行くのかというのが質問である。確かに説明不足であった。当然牛の飼育も以前から行っていて、”Cow girls project”に参画してもらっているのだが、その辺をもう少し分かりやすく書くべきであった。

在セブ駐在官事務所の面接では、事前に知らされていたとおりの質問で、準備したとおりの答えができて、無事OKが出た。それ以外にも、こちらのプロジェクトに関して興味を持ってもらったようで、「牛が何頭いて、何人の学生を支援しているのか」とか、「パソコンを子供たちに開放して、オペレーションの練習をさせていると言うが、何台パソコンがあるのか」と言った質問が出たそうだ。
インターネットからの情報では、在セブ駐在官事務所の担当の方は、青年海外協力隊のOBとのことであり、こちらのプロジェクトにも関心を持ってもらったのかもしれない。

その他

航空券

面接がうまく済んだので、代理店に直行し、航空券を発券してもらった。空席があれば、翌日の便でも発券可能という情報を予め得ていたので、日本に行けるのが確定した時点で発券を行った。
PALでセブからマニラ経由で福岡まで。6ヶ月有効、予約クラスはQで、往復671ドルであった。以前聞いていた値段よりも少し安くなった。ビザのスタンプが押されたパスポートをセブで受け取るよりも、マニラで受け取った方が早いので、マニラまで行くため、航空券を別切りにしたので、かえって安くなったのであった。
私が行くならもっと安い方法をいろいろ検討するところだが、福岡入国でないとまずいし、初めて飛行機に乗る人の分なので、複雑なことは考えなかった。

海外旅行保険

フィリピンでも海外旅行保険はあるのだが、保障の内容が同じだと日本に比べて、かなり割高である。日本なら、無料か無料同然でクレジットカードに加入し、カードの保険で済ますということも少なくないはずだ。
今回は、ビザ代理申請の関係もあり、同じ業者の取り扱っている保険に加入しようとしたが、そちらは保険業者での手続きで1日半ほど待つ必要があり、さらに週末は手続きが止まり、今回のスケジュールには合わないことが、直前に判明した。前もって加入しておけば何も問題なかったが、日本に行けることが確定しないと無駄になるかもしれないので、それはできなかった。さらにパスポートのコピーが必要と言われたが、そのままビザ申請でパスポートを出してしまって、コピーが取っていなかった。

仕方ないので、セブのダウンタウンに行って、別の保険を探したところ、そちらは、パスポートも不要で、その場で加入できた。

保険の内容では、日本に比べて、病死では保険金が出ないのが一番の違いである。インターネットでフィリピン以外の国の旅行保険を調べてみたが、同じような感じだった。病気の死亡保険金を出しては、生命保険になり、通常ならいろいろな厳しい審査があってしかるべきということなのであろう。

もう一つは、賠償責任が日本に比べ少ないということである。日本なら、期間1年で、1億円くらいでも、かなり安く保険に加入できる。何か高価な機材を壊したりしないかとか心配があるなら、日本で別途 加入するということになろう。

フィリピン出発と日本到着

当初出発予定から3週間以上遅れてしまったが、ビザの面接でOKが出たところで、日本に行けることが確定した。ビザ代行業者のオフィスでは、面接かその前の書類審査でNGが出て、ビザが発給されずに、空振りで戻ってきたパスポートが積まれていて、日本語が話せるフィリピン人スタッフが「ラッキーだったね。」と言ってくれた。

領事館の人の話では、ビザは面接の翌日に発給され、代理店のマニラのオフィスにも当日届けられるとのことであった。さらに、それを代理店のセブのオフィスに送っていたのでは、時間がかかるので、マニラまで行って受け取った方が良いとのアドバイスがあった。ほんとに翌日届くのかという不安はあったが、親切に行ってもらっているのに従わないわけにはいかない。フライトのスケジュールと週末の関係で、マニラで3泊することになったが、無事ビザのスタンプの押されたパスポートを受け取ることができ、本人は日本に飛びたった。

と言いながら、実際にはいろいろトラブルがあった。

まずは、セブのサウス・バス・ターミナルに到着して携帯電話でテキストしていたところ、見事に携帯電話をかっぱらわれたそうだ。ベンチに座ってテキストを打っていたそうで、後ろに人が沢山通る場所なので、いかにも不注意。取られるべくして取られたとしか言いようが無い。出発まで不便なので、普通なら、私が中古を買って貸すところだが、自業自得としか言いようがなく、買うのは止めた。

もう一つは、マニラでターミナルフィー750ペソを払うお金が足りなくなったことだ。そう思って、500ペソ余計に貸しておいたのだが、そのため大船に乗った気になって、逆に足りなくなったとしか考えられない。
日本人が日本に帰るのに、マニラでの滞在費が足りないのでお金を貸すというなら、数千円では不足で、念のため数万円貸すということになろう。先日の日本人の訪問者も、来る途中、マニラで言われるままのホテルに泊まり、乗り物に乗っていたら、毎日1万円単位でお金が飛んでいったそうだ。また、国内線から国際線、2km足らずをタクシーで移動しようとしたら、ボッタクリに1万円と言われた人がいるそうだ。不慣れな外国人だと高くつく。これに対して、こちらの本人は普段からお金がなくて困っている。とりあえず私が貸しているが、これは、確実に返してもらうよう段取りができていて、無駄遣いした分は、最後に本人に降りかかってくる。従って、できるだけ節約してもらおうというのが、こちらの腹づもりである。
乗り物はバスかジプニー。泊まるところは知り合いの家。食事は安食堂。または、知り合いの家の家事を手伝い、その代償で食べさせてもらう。このとおりにしていれば、予備の分とさらに少々、お金が残ったはずが、足りないというのはかなりおかしい。

それでも、何とか本人が手当てして、飛行機に乗れ日本に到着した。
しかし、今度は、入国審査で引っかかってしまった。想定内ではあるが、別室送りになってしまった。その場合には、出迎えの人が、別室で、立ち会うことができるという話を聞いていたので、そのように出迎えの人にこころ積りしてもらうよう頼んでいたのだが、それが現実になった。実際には、立会いではなくて、別々にヒアリングがあったそうだ。出迎えの人がうまく説明してくれたので、強制送還を免れた。

ビザの有効期限が3ヶ月となっているので、本人は3ヶ月滞在したいと入国審査官に言ったそうである。当初2ヶ月研修を受ける予定であったが、出発が遅れ、1ヶ月余りになった。その後は研修はできないことになっていて、研修も受けずに日本に居残っていては、不法滞在となる。本人はビザのことなど何もわからないので、代理店から3ヶ月滞在可能だと入れ知恵され、それをそのまま鵜呑みにした可能性が高い。私もビザの有効期間のことは何も説明していない。


参考資料
 ・必要書類のWBS風一覧
 ・現地で準備にかかった費用のリスト
  


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