ドゥマゲッティの洪水

2011年12月26日作成
2012年1月16日更新


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洪水でほとんど流されても、かろうじて立っている
低所得者用住宅

2011年12月17日にフィリピンのミンダナオやビサヤ地方を直撃した台風21号では、特にミンダナオ島のイリガン、カガヤン・デ・オロなどで甚大な被害をもたらした。シキホール島では、大した被害はなくて、いつものように少し風が吹くとバナナが倒れて、オーナーは悲しみ、牛はバナナの葉と茎を食べられるので喜ぶというそんな具合であった。私の家の周辺では、家の前にあった木が倒れ、それがプロックと呼ばれ人々が座ってくつろぐ建物の屋根を少し壊してしまったが、大した被害ではない。

これに対して、シキホールの対岸のドゥマゲッティ(Dumaguete)では場所によって大きな被害が出た。知り合いでドゥマゲッティ在住の日本人と電話連絡が取れないので、台風が通過した数日後安否確認のため、現地に行ってみた。幸運にもその人は特に身体への影響はなく元気にしていたが、家の敷地に20cmほど水が入ってきたそうだ。私が訪問した時には、洪水による泥などの後始末も大体終わっていていた。そこで話をいろいろ聞いたところ、その家から数百メートルの範囲でも洪水で流され十数名の死者が出たそうだ。

現地に行った日には、知り合いの家の前にあるバランガイホールに 多くの避難者が待機していた。家に帰ってから、それなら、知り合いの家で炊き出しをしたら良いのではないかと考え始めた。その日本人はNGO関連で現地の人たちの支援活動をしているが、さらに日本で後方支援しているグループがあり、その世話役の人に連絡して炊き出しを提案したら 良い返事が返ってきた。そこで、炊き出しに必要な当面の米を買って、再度知り合いの家を訪問した。しかし、避難している人は、日中は洪水の後始末のため自宅に帰っていて、バランガイホールは夜だけ寝に来る場所に変わっていた。そこで今回は炊き出しは中止した。

また、別の目論見もあったが、それも今回は見送った。
バランガイホールには、沢山の人が避難していたが、皆暇そうにしていたので、それなら、避難している人の中から、こちらで10人くらいを雇って、現地在住の知り合いの名前のチームを結成して、洪水の後始末の手伝いに回ったらどうかという案である。チーム名を印刷したTシャツをユニフォームで着てもらえば、泥棒との見分けもつくし、現地で支援活動をしている知り合いの宣伝にもなり、後々活動がしやすくなるはずである。シキホール島の人も同様だが、大抵の人は仕事がなくて困っていて、日当を200ペソ〜250ペソ程度払えば、現地の人は仕事にありつけて助かる。日本ならボランティアで駆けつけた人たちがチームを作って回るということになろうが、フィリピンでやるなら、日本人は現地の人を雇ってきて、スポンサー兼監督で段取りをする人、さらに少し作業にも加わるというのが良さそうだ。実際にも、炊き出し要員はシキホールで雇って連れて行った。

しかしながら、雇おうと狙っていてたバランガイホールで避難中の人たちは、既に自宅に帰って洪水の後始末を始めたので、この案も今回は見送った。それでも、しばらくして、例えば、家族が少なく後始末が遅れている家が出るようなことがあれば、現地の人を雇ってチームで支援するこの案は役に立つかもしれない。

洪水の爪痕

近くで洪水の被害が大きかった低所得者用の住宅街の様子を見に行った。100軒近く家があり、死者も出ている。このあたりは、他より少し土地が低く、水がより多く流れ込んだということだが、その中でも水が胸ぐらいまで来たという場所もあれば、屋根の近くまで来たという場所もある。高さや周囲の状況によって水の深さが違うが、それが生死の分かれ目になるような水深の差になっている。

いずれにせよ、ど貧民が洪水のない安全な場所に住みたくても先立つものがないという厳しい現実がある。
ここは海外のNGOのHousing Projectによってつくられた住宅地だが、悪意がなかったにせよ、どうしてこんな危険なところに家を建てたのかと追求されそうで、NGOにとっても厳しいものがあろう。

流された茅葺や竹などが、木に引っかかったところ

洪水後6日目の様子だが、道の真ん中に、泥やごみなどが大きく積まれている。後始末は地元の人が自らやっていて、他から支援の人たちが来ている様子はなかった。

殺人橋

被害が大きかった場所から少し山側に向かって歩くと すぐに 川の氾濫地点にたどり着いた。幅10mほどの川が山側から流れて来て、ほぼ直角にL字のように曲がっている。そして川沿いに山から道が走っている。下の写真を見てもらえば分かるように、道と川の位置関係から、川が曲がったところに橋が必要になっている。一番の問題は、この橋の下の川幅が極端に狭いことであるのは一目瞭然だ。川幅に比べて極端に狭く、幅3mほどしかない。橋を安く架けて、しかも十分な強度を持たせるためにこのような形にしてしまったのは 容易に想像できるが、さらには、ここで節約したお金が、誰の懐に入ったのかというフィリピンならではの疑問も沸いてくる。しかし、そこまで悪くはなくて、よく分からず単にやってしまっただけだろうという予想もできる。

とにかく、橋で川幅が極端に狭くなって、一度大雨が降ると、これが水の流れを妨害し、ここから水が溢れ出すのは、幼稚園児でも分かる話であろう。また急に水の流れが曲がっているので、写真のように水圧で、川岸が破壊されている。壊れた部分を見ればバレバレだが、このあたりは、長い間かかって川の氾濫を繰り返し、砂が積もって出来たものだ。従って、この部分の護岸工事には、5m幅くらい砂を取り除き、川に転がっている大きな石をセメントでくっつけた中まで石垣のようなものにしたくなるのは、私だけではないだろう。さらには、こんな急に曲がっては、折れ曲がる部分が破壊されやすく、水の流れも悪くなるので、できるだけ緩やかに曲げるべきであろう。また、曲がった部分から水が溢れ出しにくいように、堤防にように川岸を高くして、防御すべきだろう。
しかしながら、一番大切なのは、橋の下の川幅を広くして水の流れを良くすることであるのは間違いない。
前後の川幅が10mなら、橋の下の川幅も同様に10mかそれ以上確保してもらわないと困る。橋脚があると、そこにごみがひっかかり、橋が流される可能性があるが、その対策を含め、橋脚の有無によらず橋の下の川幅を十分確保する方法はいくらでもあろう。私でも簡単にいくつも思いつく。

また、写真のようにバイクが道をまっすぐ水平に走っているような状況はどうみてもおかしくて、橋の部分は、高くして橋が流されにくいようにしてもらう必要があろう。もしくは、すぐ近くで例があるが、橋を川底近くまで下げて、雨が降って水位が上がった場合には、橋の上に水が流れるようにして、しかも橋の部分の川幅を十分とっておくやり方の方が 現状よりまだましだ。その時には、山の反対である海側は、土嚢を積むように川岸の高さを十分にとって、洪水を防ぐようにしないといけない。でないと道がジャンプ台のようになり、増水時に水が溢れ出す経路になってしまう。そんな当たり前のことを一々書いていては、読んでいる人から嫌われそうだが、当たり前のことが行われない社会では、そんなことまで書きたくなってしまう。

「そもそも、関係のないあんたが何でそんなことを書いているのか?それは行政の仕事でしょう。」これが、フィリピン以外の常識だろう。しかし、これまでも、同じように洪水が起こり、同じように死者を出してきた。変わらないのがフィリピン流。またまた同じことが続きそうで、それに対抗して、素人ながらも書きたくなる。

「それなら、自分で役所に陳情に行けばよいではないか。」というのが、フィリピン以外の人の感覚であろう。しかし、殺人事件を目撃して、法廷で証人に立ったら、犯人の組織から、殺し屋が送られてきて、白昼に証人が撃ち殺され、裁判は打ち切りというようなことが、ドゥマゲッティでも普通に起こっている。そのような状況で、業者の利害の絡むかもしれない この手の陳情は、玉が飛んで来ないかどうか、いちいち考える必要があり簡単ではない。
フィリピン、ジャーナリスト、殺害をキーワードにGoogleで検索してみると、毎年 世界でトップを争っているというような記事が簡単に見つかる。日本語で書いているうちは、あまり問題はなさそうだが、この程度の話でも英語で書き出したら、リスクはないとは言えまい。

そう言っても、ここで書いて、誰か何とかしてと言っているだけではイマイチであろう。自分でもAction planを考えてみたい。

また 単なる思い過ごしで、誰も何も考えてなくて対策していないだけという可能性も十分ある。それなら、単純な陳情が有効だが、そうでない場合の可能性もあるから困るのである。

水が溢れた地点を川下から見た様子
壊れた部分は地盤に砂が多く、かなり厚い幅の
護岸工事が必要なことがわかる。

水が溢れた地点を川上から見た様子
通過するバイクの当たりが殺人橋
この状況から、普通ならもっと橋は高くないといけないと
誰しも思うはずだ。

殺人橋と橋の下
橋の下の川幅が極端に狭く、増水時にここで水の流れが悪くなり、水が川の外に溢れたのは誰が見ても簡単に分かることであろう。

橋の下流。
現状の橋の下の川幅に比べれば十分幅は広い。

別の場所にある低取得者向け住宅
こちらは屋根裏部屋があり洪水に強い

近所にある川底すれすれの橋
増水すると通れない

土間輪中

そもそも今回見て回った被災地は、淀川や多摩川などの河川敷ほどではないにしても、バンコクから川の上流で、洪水が結構起こる地域に比べれても、遥かに洪水が起こりやすい場所である。日本で例えるなら輪中のある地域のようなものであろう。そんなところに家を建てるなら、日本の先人の知恵の結集である輪中にしてもらったらどうかと思う。何でも短くしたがる日本人は、ドゥマゲッティはドマという人が少なくない。私はその手の省略は、和製英語(外国語)が日本人の国際化を妨げる要因になるので嫌っていて、ドマと言われれば、土間と言い返して対抗している。そこで 土間輪中と勝手に名づけた。

しかしながら、これは単なる妄想で、現実的ではない。貧民住宅を輪中のように高い石垣を作ってその上に建てたらどうかと言っても、予算が足りそうにない。
そうは言っても、この近辺に 輪中のアイデアを活かした高い石垣の上の避難所を一箇所作れば、近所の人の発想の参考になるはずだ。

川沿いの危険な場所にあるあばら家

川沿いの低い場所にあばら家が沢山建っていて、洪水の度に被害が出ている。今回も家が流されたり、壊れたりしていて、そこに見舞いに行った。こちらが米を持ってきているのを、そこの住民が見ていて、手招きされたというフィリピン的な落ちがつくが、とにかく、被害が一番大きかった場所と言えそうで、炊き出しをキャンセルして残ったお米をここの人たちに配って帰った。シキホールだったら、こんなところで米を配ったら、奪い合いの悲しい状況になる可能性が高いが、ここでは、秩序が保たれていて、皆で協力して平等に分けることができたので 非常に気分が良かった。

住民によれば、こんな川沿いのいい加減なところでも、レンタル料を払っているそうで、こんなところで こんな人たちから地代を請求するとは、まさに貧困ビジネスそのものと思えた。しかしながら極めつけは、この川沿いから数十mも歩けば、川底よりかなり高くなった平地が広がっていて、そこには、やしの木やバナナが植えてあるだけで家がないという事実だ。十分な高さがあるので、やしの木もバナナも被害はない。これは例えて言うなら、フィリピンの多くの貧しい人たちよりも、外国人に飼われたお犬様の方が、よっぽどよいものを食べているという事実と似ている。ど貧民よりやしの木やバナナの方が大事ということだろう。実際には、地主にとってみれば、わけの分からぬスクワッターに住みつかれては困るということなのだろう。

川の反対から見たこの地域の様子

壊れた家

家が壊されても子供たちは明るい
この楽天的なところは、日本人がフィリピンから学ぶべき点の一つだろう。

持って来たものを整然と受け取る住民たち

川辺のすぐ横は、高台で、洪水の影響はなく安全だ。なぜそちらに家を建てないのかという素朴な疑問を 誰しも抱く
はずだ。

スモーキー・マウンテン

スモーキー・マウンテン

ごみの山で作業をする人たち

ビニールシート1枚のテント暮らし

この地域の中心とも言えるのが、スモーキー・マウンテンである。
スモーキー・マウンテンという言葉を使うだけで、世界中から支援のお金が沢山集まりそうで、莫大な経済効果をもたらす言葉のように思えるが、確かに、ここに住む人たちは、周囲の人たちの中でもとりわけ貧しいのは間違いないだろう。ビニール一枚の屋根と、4本の木の柱のテント生活をしていて、まさに失うものは何もないという状況であろう。

ごみの山の上に住んでいるお陰で、十分高いので ここの人たちは洪水の被害はなく、今回はそのまま通り過ぎた。家がないので、支援団体によるHousing Projectの中でも一番プライオリティの高い対象になるのだろう。

家はなくても携帯電話はある

一緒に行ったフィリピン人の知り合いの話では、ここの人たちは家はないが 携帯電話はあるということである。私の携帯電話は6年ほど前には、4000ペソほどしていたが、今は中古では一桁下がって、430ペソで売られていた。SIMも数十ペソで買える。フィリピンではプリペイ式が基本なので、基本料はなく維持費もかからない。電気が来ていなくても、たまに誰かの家に行って充電させてもらえばよい。誰でも携帯電話を持てるのである。人によって持っていたり、なかったりするだろうが、ここの人たちは 家はなくても携帯電話はあるというのが、一般的なフィリピン人の認識である。

被災地見舞いの薦め

被災地に物見遊山のようにして出掛けるのは、普通は嫌われる行為であろうが、フィリピンではどこでも歓迎してもらえる。今回は炊き出しはキャンセルしてしまい、残った米をどこかに配ろうということにしたのだが、しばらくウロウロ被害状況を見て回り、その後 町に出て、米と分配用のビニール袋を買ってきて、一番被害が大きい場所に配れば 喜ばれることであろう。フィリピンでは日本より米は安いので、50kgの袋でも三千円余りで買えてしまう。

支援物資はバランガイホールまではかなり届けられているが、そこまで取りに行ける人と行けない人の差で、うまくいきわたっていない場合もある。ウロウロ見て回って配るのはそれなりに意味があるのは間違いない。


参考) 台風21号

別途紹介しているように、フィリピンでは台風が西進すると被害を受けることが多いが、今回の21号も典型的なそのパターンである。参考までに、デジタル台風の台風経路図を引用しておく。今年の台風の経路を重ね合わせたものの一部で、今回の21号は一番下を右から左に進んでいる台風である。西に進む台風はこれをみても分かるように結構多い。異常気象というような話ではなくて、特に11月、12月はこれが通常の動きである。個人的な都合ともいえるが、今回の21号はシキホール島よりさらに南側を通過した。これは今年一度だけである。南を通過し、しかもかなり接近したので 私の家のように島の北側の海岸にある家はかなり強い風が吹いた。そんため木が倒れた。中心の最低気圧が996ヘクトパスカルまでしか下がらない熱低程度の台風だったが、それでも強風が吹いた。日本でも同様だが、台風の経路には要注意ということだ。しかしながら全体的に見れば、並みの強さの台風であり、雨台風だったということになる。

デジタル台風による台風経路図

後記

今回は、炊き出しをするつもりで行ったので、現地の状況を確認するのに十分な時間を使ったわけではない。
この殺人橋以外にも、洪水の大きな原因になった場所がないかどうか。この橋と周辺を対策して、増水時にもここから水が溢れなくなった場合に、下流では別の影響が出ないかどうか。これまでに洪水対策でどのようなことが行われてきたのか、きていないのか等、追加で確認する必要があることが多く、近々再訪して、さらに調べる予定である。
この橋の下流では、すぐに広い川に合流するので洪水は問題ないということを現地の人から聞いているが、実際に見て確認する必要があろう。


(2012年1月更新)

最近、上記のドゥマゲッティ在住の日本人の知り合いに電話して確認したところによると、今回はテレビなどても大きく取り上げられたので、外国のNGOなどもやってきて、支援が行われているそうである。

横流しができない仕組みを導入

支援物資の配布も、進んだ手法が取り入れられているそうだ。被災の程度が各家ごとにレベル分けされ、それに応じて支援物資が分配されるそうである。さらに米国人のNGOのメンバーなどが、各家庭を回って、予定通りに支援物資が配布されたか確認しているそうだ。これにより、支援物資の横流しはできない仕組みになっているということである。
来た人に適当に支援物資を配ったのでは、支援物資の一部をこっそり残しておいて、横流ししてもバレにくい。今回は、そのようなインチキができない仕組みが確立されているそうだ。

支援物資の横流しと言えば、2006年2月に発生した レイテ島南部の地滑りで、支援物資が一箇所に集められ、そのまま行方不明になったという噂はあまりにも有名であろう。支援した世界のNGOも、現地の人たちも落胆したということだが、私も現地に行って自分の目で確かめたわけではない。人から聞いた話だが、フィリピンなのでそんなことは当然起こるだろうとは思う。インターネットで検索すると、その話を書いている人も見かけられるが、それほど多いわけではない。フィリピンではジャーナリストの殺害が世界のトップレベルだという話もあるので、そのためかとも考えられるが、証拠を出せと言われても出せないので、噂レベルと言うしかない。

そこに今回のドゥマゲッティでの外国からの横流し監視の話が登場し、NGOもこれまでの経験を踏まえてやっているのは間違いないだろうから、レイテでの噂は、噂以上のものを感じるのは私だけではないだろう。

横流しの悲しい話ばかりになってしまったが、現地では多くの支援の手が差し伸べられていて、復興は進んでいる。前回書いた被災地見舞いの提案は取り下げても良さそうにも思うが、支援が多過ぎて迷惑という話はないので、そのまま取り下げずにおきたい。


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