JRの思い出

2017年8月作成



パンツをはかない子供

パンツをはいて連れて行かれた子供

として、以前 取り上げたことがあるJRの写真を 知り合いからもらったので 紹介したい。

JR@シキホール島

何度かシキホールの私のところを訪問してもらっている人と、もう一人フィリピン好きの人から、先日 京都で食事に誘ってもらい、その時に、JRの話になった。JRは、以前 シキホールの自宅の隣家に里子に出されていた男の子のことである。私としては残念だが、親が迎えに来て連れて行ってしまい、その後一度も会わずに、10年以上経ってしまった。懐かしく当時を思い出しながら、食事の時に、話していたのだが、さらに その後、この方からJRの写真を送ってもらった。

隣の家にJRが住んでいた間は、私も非常に仲良くしていて、毎朝私の家にやってくるので、入口で一緒に2、3時間しゃべっていた。JR用に小さな椅子も作っておいたりした。ちょっと打算的な言い方かもしれないが、子供と話すのが現地の言葉を覚えるのに役立ち、JRのお蔭で私もビサヤ語が少しはできるようになった。

JRがいなくなった後に聞いた噂では、レイテ島のタクロバンあたりに住んでいて、親が、学校にも行かせず、水汲みばかりさせているということだった。話を聞いて憤慨し、隣家とともに連れ戻しに行きたいと思ったが、場所が遠いし、住所も不明で、そのままになっていた。

その後、台風Yolandaがレイテ島を直撃した時には、支援物資を持って行きたかったが、現地が混乱している上に、住所も分からず、またまた行くのを断念してしまった。

別の訪問者からJRの消息を聞かれたこともある。その人は写真家で、作品を写真販売のサイトで売っているが、シキホールで撮ったJRの写真が一番売れたそうで、JRに利益を還元したいということだった。

今回送ってもらった写真は、写真家が撮ったものではないが、いろいろ伝わってくるものがあり、私にとってだけでなく、たぶん一般的にも良い写真だろう。

JRは犬小屋のようなところに入っているが、これは私の自作で、大工が残したへたの材料を使って、子供用に作ったものだ。屋根に使っているニッパが1枚の幅で作り、その結果、子供が昼寝したり、遊んだりする小さな建物が出来た。

写真によると、JRはパンツをはいていて、以前と話が違うが、ちょっと成長したので、失敗して パンツを濡らしたため、洗濯することが減ったからか。それとも、人が来ていたからか、今となっては、よく覚えていないが、多分そんなところだろう。


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