海外出稼ぎ希望貧困学生支援プロジェクト

Foster investment child project

2006年 3月


看護婦の米国への出稼ぎ

OFW(Over sea Filipino Worker)と呼ばれるフィリピン人の海外出稼ぎ者は合計1000万人と言われている。私の周囲の人でも、海外に出稼ぎに行きたいという人は、いくらでも簡単に見つかる。しかしながら、出稼ぎに出るためには、通常は学歴や資金が必要になってくる。フィリピンでは、子供が生まれると男性なら船乗り、女性は看護婦(看護師、ナース)にして、海外に出稼ぎに行かせようという話はよく聞くが、これらの職業に就くには大学を卒業しないといけない。田舎の貧困な家庭では、そこまで学費を出すのは非常に難しい。

特に、看護婦は、専門職で、高収入が得られ、フィリピンからの出稼ぎの職種としては一番有望と言えるだろう。

もう15年ほど前のことになるが、米国に住む私の知人の奥さんがスタンフォード大学の病院に看護婦として勤めていて、知人の方も、シリコンバレーの企業に働き出した。日本人の夫と中国人の妻の夫婦である。知人の方は就職したばかりということもあるが、奥さんの年収が5万ドル以上あり、夫よりも 高給取りということであった。

求人については、日本も含め世界的に看護婦の不足が指摘されている。特に米国では、今度ベビーブーマーが退職し高齢化していくにつれて 医療への需要が増え、数十年の長期に渡って看護婦は不足すると見られている。

医療費が高い米国に出稼ぎに行き、看護婦として働き続ければ、2億円程度の生涯賃金を得ることができるはずだ。フィリピンの田舎で、普通に暮らしていた場合に比べ、2桁程度の収入の違いとなる。可能ならば、ほとんどすべての人が、そのような仕事に就きたくなることだろう。

しかしながら、学費が大きな壁になる。田舎に住んでいては、Nursingのコースのある大学に自宅から通える可能性は低くて、下宿を余儀なくされる場合がほとんどだろう。このため、学費はさらに高くつく。授業料は公立でも、半期で1万ペソ以上。ほとんどは私立で2万ペソ以上である。下宿代、食費、交通費、それからプロジェクトとよばれる教材等の費用を含め、卒業までに、60万円程度はかかりそうである。公立ならもう少し安くなりそうだが、半額にはならない。日本人の感覚なら十分安いと言えるが、現地の貧しい人々にとっては、これは莫大な金額である。

私の家の近所でもNursingのコースを卒業した人が一人だけいるが、それは、政治家の娘である。金持ちしか高収入を得られる職業に就けないという、貧富がほとんど固定化しているフィリピンの実態をよく現している。

以前、取り挙げた近所のハイスクールを1番の成績で卒業した学生もNursingに進学したが、資金が続かず半年でやめて、自宅から通える近くの大学の別の学部に移ってしまった。私の方で、ここで書いているプロジェクトを始めているので、資金がないなら、プロジェクトに参加してもらおうと思っていた。しかし、話が十分通じず、突然 進路を変えてしまい、対象から外れてしまった。

フィリピン人によるフィリピン人次世代貧困学生の支援

私の方で20人の学生を支援しようとしている。生涯賃金が2億円という数字を用いれば、これだけでも、もともとは貧困な人々の40億円の収入になり、経済効果は少なくない。実際には、放っておいても金持ちの子弟は、同じようにして外国に働きに出て高収入を得る。 貧しい人々にも同じ様にして、十分な収入を得られるようにするのがこのプロジェクトの狙いである。

ただ、私一人の支援で終わってしまっては、いくら40億円の経済効果と言っても、大海の魚に餌をやるようなもので、それで終わってしまう。そこで、米国に働きに出れるようになった看護婦に、次の世代の同じ様に貧しい世代を支援してもらうというモデルを考えた。これはペイ・フォワード(Pay Forward)と同じである。私と同じようにそれぞれ20人を送り出してもらう。従って、20人の20倍で、二世代目は合計400人になる。支援の輪は延々続き、三世代目はさらに20倍で8000人となる。それぞれが2億円の生涯賃金を得られるとすれば、全体では、十分大きな数字と言える。他にもいろいろプロジェクトを進めているが、それらは、事例を紹介するために実験的に進めていて、他の人にも真似をしてもらうことを狙っている。それでないと、大海の魚に餌をやるのと同じことになってしまうからである。
これに対して、このプロジェクトは、私一人だけでも、大きな結果を見込めることが他と異なっている。

Money Transfer

このプロジェクトについて、日本人やフィリピン人などいろいろな人に説明したが、ほとんどすべての人から、フィリピン人によるペイ・フォワードに対して懐疑的な意見が返ってきた。先輩からおごってもらい、後輩におごり返すというのは、日本では ごく自然に行われているように、日本人には このアイデアは受け入れてもらい易いはずだ。それに対し、フィリピン人は米国に働きに出られたらそれでおしまい。他の人の支援などするはずがないという意見が体勢を占めた。
「プロジェクトに参加してもらう前に、確約をとってあるから大丈夫だ。」と言っても、まだ信用してもらえない。「元は貧しい境遇にあった人なので、次の世代の貧しい子供たちのことを少しは、考えてくれるはずだ。」と言うと、少しは納得してもらえるが、完全に説得できるまでには至らない。

そこで、次の世代を支援すれば、自分も儲かるという仕組みも取り入れた。ペイ・バックワードと呼べば良さそうだが、インターネットで検索したところ、ペイ・バックワードは、人に親切にされる前に、人に親切にすることという意味で使っている人がいた。それも良いが、ここでは、単にお返しで、具体的には、支援してもらった人に仕送りをすることである。親から学生である子供への仕送りはallowanceだが、子供から親への仕送りは、この場合はmoney transferと呼んでおけば、分かりやすそうだ。

親が子供を養育し、学校を卒業させ、その結果 子供が外国に働きに出れば、子供は親に仕送りをする。これはフィリピンで、広く行われていることである。それと同じようにして、支援する側、される側をそれぞれFoster investment parent, Foster investment childと呼び、 Foster investment childからFoster investment parentへ仕送りをしてもらうことにした。

仕送りは収入の5%で、20人のFoster investment childrenが、海外で働くようになった暁には、働いているのと同じだけの収入を得られることになる。そこで、自分は海外での仕事はリタイヤして、フィリピンに戻り、現地でビジネスを始め、郷土の産業の育成に寄与する。または、貧しい人の役に立つプロジェクトを始める。
そのまま外国に脱出されて、帰ってこないのではとても悲しい。海外での生活費以外は、資金がフィリピンに入ってきて、それが現地の活性化に役立たった方が良いに決まっている。Foster investment childrenからの仕送りの仕組みあれば、フィリピンに戻って来やすいはずだ。

もちろん、働いている間にも、将来に備え、資金を蓄えておいてもらわないと困る。

Foster investment childだけでなく孫、ひ孫、すなわち Foster investment grandchild, foster investment great grandchildからも仕送りをしてもらう。それぞれ収入の2%と1%である。人数はそれぞれ400人と8000人なので、仕送りの総額は単純に計算すると 掛け算で800%と8000%になり、個人にこれだけの資金が入れば、いろいろなことができる。

単にお金を渡すだけなら、昔から同じようなシステムは存在した。そして、連鎖が破綻し、全体が破局するというシナリオになっていた。全体でなんらお金を生み出すことがないゼロサムゲームなので、誰かが損をするのは当然だ。実際には大多数の人が損をした。

それに対して、このプロジェクトは、外国に働きに出たそれぞれの人が 大きな収入を得るところが根本的な違いである。

目論み通りに進めば、連鎖は破綻するだろうが、その時には、もともとは貧困であった100万人ぐらいの人が、新たに外国で働いており、国家予算を上回る収入が、もと貧困層の手に入る。もはや、支援すべき貧しい家庭の子供が見つからないというのは、貧困が解消された状態で、すばらしい話だ。 支援する人が見つからなくなってしまった人は、その次の世代から仕送りしてもらうことはできず、ずっと働き続けないといけないかもしれないが、支援する必要もなくなるわけで、たとえ そうなっても不平が出ることはないだろう。自分は、仕送りを続けないといけないので、それを打ち消すために、なんとか相手を見つけて、一人か二人だけでも、支援してあげればよい。

得られた収入で、他のプロジェクトを始める

フィリピンで家族が海外に出稼ぎに出た場合、よく言われる課題は、残された家族を含めたぜいたく病である。米国で働いているフィリピン人看護婦の家は大都市の豪邸。ジャガーが二台。そんな話を聞いたことがあるが、そうなってもらっては、何のためにプロジェクトを始めたのか分からない。

海外での生活費以外は、フィリピンに還流してもらうようにし、貯まった資金で、何か事業を始めてもらわないと困る。このプロジェクトの場合には、まず望まれるのは、看護婦を養成できる学校と病院だろう。これによって、次の世代の貧乏な学生を、安い費用で送り出せることが可能になり、プロジェクト全体がうまく回っていきやすくなる。

外国で働いている間に、いろいろな情報を仕入れ、アイデアを蓄積するのも必須であろう。

支援対象の学生

支援する学生は、家族が貧困で、学業が優秀。しかも 性格が良いことが条件だが、通常の奨学金のように、試験で決めて 知らない人でも支援するようなことでは、このプロジェクトは回っていかないだろう。将来裏切られないように、とても親しい人物が相応しい。または、選考のために膨大な時間を費やすべきだろう。

Cow Girls Project

私の方で、すべての学費を奨学金として出していては、多額の出費になる。というよりも、私の資金が続かない。プロジェクトに参加した本人や家族にも努力してもらい、資金を捻出する方法を取り入れた方が、次世代の学生を支援しやすい。その一つの方策として始めたのが、Cow girls projectである。牛を育てて、その収益を学費に回す。豚を飼う方が より一般的である。残飯など無料の餌が容易に手に入ればよいが、田舎ではそれが難しい。そのため配合飼料を買ってきてそれで育て、豚は大きくなったが、餌代の方が何倍も高くつき、結果的に大赤字になって、止めてしまった例が多い。そこで、豚は止めて牛を育てることにした。牛ならば、周囲の雑草を食べて育つので、餌代がかからない。

看護婦、看護師、ナース、Nurse

最近は、看護師という用語が多く使われているが、Cow girls projectという名前を使ったことと 慣れがあるので、ここでは まだ看護婦としている。Googleで検索したところ看護婦が551万件に対し、看護師は635万件。ナースは969万件であった。Police man, police womanのように、看護婦と看護士があり、その総称が看護師であるのなら、場合に応じて使い分ければ良いということなのだろう。Googleの検索結果で、看護師の方が10倍くらいになるか、支援するメンバーに男性が入れば、看護師かナースを使うことになりそうだ。カタカナよりは アルファベットの方が まだ良いと考えNurseと書くかもしれない。


経過 2006年3月

2005年から取り組みを始め、Cow girls projectに、近所に住むLovelie, Vangie, Elen Mieの3名が参加している。Lovelieは昨年の4月にハイスクールを卒業し、学費が無くてセブに働きに出ていたが、このプロジェクトに参加し、10月から大学に通い始めた。牛がまだまだ育っていないのに大学に入学したので、学費を直接私の方で支払う羽目になり、かなりの出費となってしまった。牛を育てて実際にどれだけ収益が上がるのか、および、学費が実際にどれだけかかるのかを、早めに掴むという目的も兼ねている。噂を参考にした学費の適当な見積もりは簡単にできるが、実際に大学に通い出すと、いろいろ違いが見えてくる。

学費の見積もりのために、例えば、授業料の上昇率は年率何パーセントかといったデータは非常に重要だ。有りがちなことだが、最初に見積もった数字は、Lovelieの通っている大学で、来年10%上昇するという情報よりも少な目だった。新聞によると来年度に向けて、ほぼ大学の学費は3〜20%値上げされるそうだ。

Lovelieの場合は、10月から大学に入学した。その場合に、いつ卒業できるのかとか、学費の総額は、6月から入学した場合と比べてどうなるのかとか、不明な点が多い。大学によって10月からの入学を受け付けているところと、そうでないところがある。さらに、大学によっては、夏休みにもクラスがあり、授業料を余計に払って それに通えば、大学に通う期間を短縮できたという話を聞いたこともある。不足している情報を入手する必要がある。

Lovelieは、ハイスクール時代の成績が優秀で、卒業式でも表彰されていた。しかし、語学力が課題である。フィリピンでは、学校の教科書は、多くが英語で書かれていて、Lovelieの場合も英語の単語は沢山知っている。しかし、流暢に英語をしゃべれるとは言いがたい。外国に行くまでにかなり、英会話の練習が必要だ。彼女の練習方法が、このプロジェクトに参加する次の学生の参考にもなるので、私も、大いに首をつっこんで、良い方法を見つけたい。中国のように、公園で大勢の人が集まって日本語を練習している、そんな環境の英語版があれば素晴らしい。まずは、パソコンにVCDを入れて、映画を見てもらうことになりそうだ。

とにかくLovelieは 最初の学期を無事修了した。今後継続して3年半か4年間 大学に通うことになる。そして看護婦の資格を得て、フィリピン内の病院で三年程度働き、経験を積んでから、外国に働きに出ることになるはずだ。

Vangieはハイスクールの2年生で、大学に行く学費の準備として、牛を育て、その数を増やそうとしているところである。とても勉強熱心なので将来が楽しみだ。しかし、熱を出して学校を休んだりすることもあるので、将来に備えて体力づくりに励んだ方が良いと思われる。近所のハイスクールでは、日本の運動部のような課外活動は見かけない。フィリピンでは暑いので昼間、屋外でスポーツをするような状況ではないと言える。 興味に応じて何かスポーツを楽しんだほうが良い。

Elen Mieは、まだ小学生で、Vangieと同様、牛を育てて 大学に行く学費の準備をしているところである。しかしながら、まだまだ子供で、力が足りず親が牛の面倒を見ている。このプロジェクトに参加するのは早すぎるとも言えそうだが、希望されたので メンバーに加わってもらった。 現状 既に大学生のLovelieの方は、牛が十分育つ前から、大学に通い出した。このため、資金繰りが苦しく、自転車操業といえ、場合によっては 牛が大きく育つ前から、売らざるを得なくなっている。これに対して、Elen Mieの方は、時間がたっぷりあるので、大学に入学する前に、大学の学費すべてを貯めてあるという状況に持っていけるかもしれない。フィリピンのことなので、そういう素晴らしい状態をイメージするのはとても難しく、お金があれば使い込んでしまいそうだが、家族、本人と相談して、うまく調整し、学費に関する良い事例を作りあげたいものだ。

その他のメンバーについては、現在適任者を探しているところである。


IT技術者の日本へ出稼ぎ

看護婦以外にも、情報処理試験を受けてエンジニアを日本に送ることも検討している。「海外出稼ぎ希望貧困学生支援プロジェクト」はこの二本立てである。

日本の情報処理試験の海外英語版と言えるPhilnits/Jitse Examinationに合格し、日本語検定二級を取得すれば、日本での就労ビザが容易に得られ、仕事も見つかる。

これまで、エンターテイナーとして、若いフィリピン人女性が日本にやってきて働いていたが、それが、ほとんど受け入れられなくなってしまったので、その代わりと考えることもできそうだ。

すでに、フィリピン人技術者を日本に派遣するビジネスを始めている事例をいくつか耳にする。しかしながら、これをビジネス優先で考えた場合には、先の政治家の子弟だけが看護婦になれたという事例と同じようになる可能性が非常に高く、この場合 貧富の差を増大させるだけになってしまう。

日本語教育を施し、コンピュータ技術を教えるビジネスを始めている人がいるそうだが、そこで教育を受けられるのは、高い授業料を払える金持ちの子弟だけである。お金がなくても優秀な人物なら、出世払いにしてくれれば良いが、それは ビジネスにとっては大きな足かせになる。

ブラジルやフィリピンなどから日系人を日本の人材派遣会社が雇い入れ、企業に派遣している事例は多い。この場合、日系人はお金がないから日本に働きに来るのであり、渡航費用などの初期費用が出せない。そのため、これを人材派遣会社が立て替えて、日本で働いてから、返してもらうという形が一般的だろう。沢山の人を受け入れるためには、運転資金も膨らんでいく。企業の経営者からすれば、これをいかに少なく抑えるかというのは、大きな経営課題になるはずだ。工場の在庫圧縮と同種のテーマである。

貧乏だが、優秀な学生を出世払いで受け入れるというのは、まさに、この事例と同様、在庫を抱えるのと同じことになってしまう。ビジネスとして考えるなら、金持ちから学費で稼ぐ。または、自分で渡航費用などをすべて払える金持ちの子弟を相手にしておいた方が儲けにつながる。

普通に考えると以上のような話になってしまい、貧富の差が拡大するシナリオしか思い浮かばない。そこで、貧しい人々が外国に働きに行けるようにするための方法を確立すべく、日本へのIT技術者の出稼ぎについても、このプロジェクトに加えることにした。

もちろん、私の方のバック・グラウンドや興味も 理由の一つである。

支援対象の学生

支援する対象は、看護婦の場合と同様、学業が優秀だが、家族が貧しく、しかも、性格が良い学生や卒業生である。コンピュータ関連の学科に所属する卒業生が、日本に働きに出れるまでの最短距離にいると言える。

ところが、コンピュータ関連の学科の学生や卒業生というのは、貧しい家庭の子弟ではないことが多い。ハイスクールまでは、貧しい家庭の子供でも行けて、大学になると学費がはね上がり、貧しい家庭の子供では通うことが難しいという現実があるからである。従って、支援するのに、一番相応しいのは、看護婦の場合と同じく、すべての条件を満たす、ハイスクールの生徒で、その時点から始めることだろう。

一方、変化が激しいIT業界では、大学に入るところから支援を始めるというような長期計画は、現実的でないとも言える。本人が希望する場合を除けば、そういう場合は、男性も含め看護師になって、米国を目指したほうが良さそうだ。

当面は、コンピュータ関連のコースの学生か卒業生で、学業が優秀だが、家庭が貧しく、しかも、性格が良いという条件で進める。苦学生もいるし、大学の近くに家があり、歩いて大学に通えるような場合には、比較的安く大学を卒業できるので、家庭が貧しいこともあるだろう。

大学に入るところから支援するのは、現実的ではないと書いたが、私のところで 子供相手に パソコンの使い方を教えていることでもあり、その中で相応しい人がみつかれば、時間はかかるが、支援する対象に加えたい。


経過 2006年3月

セブの事務所に、テキストや過去の問題の在庫があり、一通り買い揃えた。

試しにPhilnits/Jitse Examinationを受験する人を探しているところである。もう一つの看護婦になる方は、メンバーは簡単に見つかったが、こちらは、相応しい人物を見つけるのに苦戦している。

これまでビサヤ地方では、試験を受けるため セブまで行く必要があったが、2006年10月からは、ドゥマゲッティでも受験できることになったそうである。便利になったので、それに合わせて、なんとが該当者を見つけたいものだ。


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